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p.352-372
第一次大戦後、<ピンボールの大難>に巻き込まれたブランドはそのままフリーメイスンに加入
1925年、IGファルベンとの取引でベルリンにあるプフラウムバウムが経営するペンキ工場を手にする。
(そこに勤めていたペクラーは火事で路頭に迷った)
その後ブランドは、セントルイスでトレイシーに会い、マウスオーガンで故障した大量のピンボールマシンを見せられる。
ブランドはエンジニアフィーベルを雇い、修理させる。
(IGファルベンはスロースロップの監視をブランドに下請けさせていた)
ブランド、フリーメイスン加入。ブランドはある日、幽体離脱が出来るようになる。
その道の先達たちに見守られ修行したブランドは、家族に別れを告げて永遠の旅へと出発した。
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