ユーザ設計の落とし穴
近年のユーザインタフェース開発では「ユーザ中心設計 」(User-centered Design)が常識になっています。システム設計者の思い込みにもとづいて作られたシステムがユーザにとって使いやすいものになる可能性は低いですが、設計の初期段階からユーザの欲求についてよく検討し、設計の途中段階においても実際にそれが使いやすいかどうかテストを行ないつつ開発を行えば、本当にユーザにとって使いやすいシステムを開発することが可能になるはずです。 学習しやすさ (Learnability)
効率 (Efficiency)
記憶しやすさ (Memorability)
エラー (Errors)
満足度 (Satisfaction)
システム作成者としては、システムの作り易さや美しさなども指標にしてもらいたいところですが、ユーザ中心設計ではそのような開発者の都合は関係ありません。
ユーザによる設計
ユーザ中心設計という考え方は現在深く浸透しているので、このような方針に対して異を唱える開発者はいないと思われますが、開発にあたって具体的にユーザをどう使うかについては誤解があることもあります。ユーザは自分が何を望んでいるのかわからないのが普通であり、基本的な仕様に関してユーザに意見を求めることはできません。
GUIがまだ発明されていなかった頃、どんな入出力装置が欲しいか誰かに質問したら、打ちやすいキーボードが欲しいといった意見が返ってきたことでしょう。また、Webがまだ存在しなかった頃のユーザを集め、コンピュータを将来どんなことに使いたいか聞いたとしても、ブラウザやブログが欲しいという意見が出ることはありえません。優れたデザインで人気があった初代iMacにはフロッピードライブが搭載されていませんでしたが、フロッピードライブが必要かどうかと当事のMacユーザに質問すれば、ほとんどのユーザがフロッピーはやっぱり欲しいと答えただろうと思われます。ユーザが求めるものを設計して作ることは非常に重要ですが、どういうものをどういうデザインで作るべきかについてユーザの意見を求めてはいけません。 普通のユーザは自分の苦手なところに気付かないものですし、想像力の欠如は普通ですし、直観と慣れを混同し、慣れてるものが良いものだと思ってしまうものです。本当に新しく便利なものを作るためには開発者やデザイナが知恵を絞って思考錯誤する必要があります。普通のユーザにいくらアンケートをとっても効果はありません。
発明力と評価力
Steve Jobsの考え方について書かれた「スティーブ・ジョブズの流儀」(Inside Steve's Brain)という本に、以前のApple社長だったJohn Scullyのインタビューが載っています。Scullyによれば、Jobsは常にユーザのことについて考えているのだけれども「マーケティング」などと称して「ユーザの声」を聞いたり評価を行なったりすることはなく、「グラフィックコンピュータを見たこともないような奴等にGUIについて聞くなんてありえないだろう」と言っていたのだということです。 芸術家が絵を描くときにユーザグループを作ったりしないのと同じように、Jobsは何が欲しいかユーザに聞いたりしません。その昔、自動車王Henry Fordは「何が欲しいか客に聞いたら、もっと速い馬が欲しいというだろうね」と言ったそうですが、ユーザの意見をもとに新しいデザインを考えることはできません。何かを設計する人には、将来のユーザが満足するであろう新しいインタフェースやデザインを発明する能力が必要です。 Donald A. Normanの「誰のためのデザイン」はユーザ中心設計の重要さを知ることができる古典です。この本では、ユーザを無視した製品が世の中にあふれていることを指摘し、変な製品にユーザが我慢する必要などないことを世間に知らしめた意義深い本です。その後NormanはAppleの副社長として様々な製品開発にかかわりましたが、画期的に使いやすい製品を開発することに成功しないうちにAppleを去りました。Normanは製品の問題点を指摘し解説する点にかけては非常に優れていましたが、優れた製品を自分で開発する能力は欠けていたようです。 何かを発明する才能と評価する才能は同じではありません。評論家的才能と発明家的才能をあわせ持つことは難しいかもしれませんし、どちらかひとつでも才能があれば充分と考えるべきでしょう。知識の呪縛で説明しているように、自分に何ができて何ができないかを正しく知ることは難しいけれども大変重要なことです。 ユーザに設計させないこととユーザ中心設計を行なうことは矛盾しません。ユーザについてよく考慮しながら専門家が設計を行ない、それに対してユーザが意見を言ったり評価実験を行なったりして、それにもとづいて専門家が設計を修正するというような共同作業が本当のユーザ中心設計です。このためにはユーザと設計者の緊密な意見交換が必要でしょうし、相手の主張に耳を傾ける柔軟な姿勢も必要でしょう。現在、メーカやサービス提供者もなかなかユーザの声を取り入れる余裕が無いことが多いため、このようなユーザを巻き込んだ開発方式がうまくいった例はまだ多くないようですが、ネットワークのおかげでこういった情報交換が以前よりも簡単になってきているわけですから、真のユーザ中心設計にもとづいたシステム開発が今後もっと行なわれてほしいものだと思います。