ヒルティの幸福論
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本文
ヒルティにおける幸福
ヒルティは「人間の本性は働くようにできている」と考え、「人間の最上の幸福」とは、人間が人間である時間、絶え間ない有益な活動 = 働くことのうちにある」と考える(p. 58) 我を忘れて自分の仕事に完全に没頭することのできる働きびとは、最も幸福である(p. 59)
しかし「働くこと」の全てが「有益な活動」であるわけではない。ヒルティは「その目的が達成されれば動機づけを失ってしまうもの」や「自分の欲望を叶えるための単なる手段」となっているもの = 「低い動機」に基づいてなされている仕事は「有益な活動」ではないとする。たとえば、「暇つぶしや名誉、社会的評価、生活維持のための金銭を得ること」のためになされる仕事は「有益な活動」ではない
これに対して、「仕事そのものに対する・あるいはその人々のために仕事をしなければならぬその人々に対する・愛や責任感情」(p. 58)=「高い動機」に基づいてなされる仕事は「有益な活動」である
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ヒルティにおける不幸の対処法
エピクテトスによる不幸の対処法が「不幸を意志によって克服する道」、すなわち「不幸を不幸と考えないことによって不幸を不在化させる」という方法であったのに対して、ヒルティは「不幸をまさに「不幸」として、しかも同時に「自らに対する賜物」として受け取る道」、すなわち「不幸を含めた自らに起きるあらゆることを、神(超越者)からの恵みと置き換えることで喜び迎えようとする」方法をとる。 エピクテトスが外的な出来事は「自らの力の及ばないもの」と考えたのと同様に、ヒルティは外的な出来事を含めたあらゆることは「自らの力の及ばないもの」であり、自分の意志を超えているとする。 したがって、私たちのするべきことは、自分の意志を放棄して受動的に生き切ること、神(超越者)に身を委ね、神から与えられる(不幸を含めた)あらゆる出来事をただ受け取ることである
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コメント・感想
ウィトゲンシュタインが目指した(?)のもこんな感じの幸福論だったろうと推測する。しかし彼は(も?)そう簡単に神を信じられる人間ではなかったので、色々と悪戦苦闘したのが『哲学宗教日記』とかに書かれているんだろう(多分)。 この問題は原書では何らかの説明がされてるのだろうか。