考えるという行為は記号や言語によって行われる
考えるという行為は記号や言語によって行われる
どちらもうまくいくこともあるし、うまくいかないこともある
「考える」のうまくいかないこととは、解決策が思い浮かばなかったり、考えた結果何も進展がなかったりすること
対して、「教える」は教師が生徒に伝えたい内容があるのに対して、「考える」はその内容自体が不明瞭
何に向かって何を考えれば良いのかがわからないこともある
「考える」とは、実験的な試みである
実験的にもう一人の自分に向かって対話や議論をしてみる
確かにこれは、英語圏の人と日本語圏の人の思考の違いからなんとなく理解ができる