デカルトの考える「身体」
デカルトの考える「身体」
デカルトは、「身体」は「心」と別物だとし、「心」の下に従属するものだとした。
そうして考えると、身体の感覚はしばしば私たちの本当の知覚を狂わすことがある
つまり、「身体」によって得られる感覚は疑いうるものであり、確かなものではない
一方、考える能力としての意識は疑いようはない
この場合の考える能力とは、思考のことなのだろう
私たちの考える行為は、厳密なロジックではなく、その日その時によって組み立てるロジックであり、前後の互いに素である現象や言動によってノイズが多分に含まれる ちょっと待てえむおー.icon
そのように一見ノイズが含まれる考える行為であっても、その日その時によって組み立てるロジックは確かにその日その時に正しく組み上げられたものではある そして、それを突き詰めていくといつも同じような解が得られるのではないだろうか
それはまさに考える能力としての意識は疑いようはないということにはならないだろうか
では一体、どこまで突き詰めれば疑いようのない解は得られるのだろうか #後で