「早く分かる」よりも「長く考える」
ある種の精神の持ち主は、他人が二十年もかかって考えたことすべてを、2つ3つの言葉を聞くだけで、一日で分かると思い込む。しかも頭が良く機敏であればあるほど誤りやすく、真理を捉える力も劣る。
デカルトは「早く分かる」ことは誤りであると断言している
その人が二十年かかって考えたことは、同じ二十年をかけて考えないとわからないはずだと言っている
2つ3つの言葉を聞くだけで、1日で分かると思い込む
これぞまさに現代人に必要な言葉
Twitterをみていると、多くの人が140字の背景を考えようともせずに好きにリプライを送っている 個人的には、別にこれはこれで構わないと思っているが
リアルな世界ではもう少し考えたいところだ
例えばふとした一言について、「あの人はどうしてこんなことを言ったのか」と考えてみる
その人のやってきたこと、立場などを想像して、どのような思考過程でその言葉を出したのかを想像する デカルトは、これを言葉の受け手の怠慢だと考えていたのではないか
本についても同じ
速読も一つの手法として認めて良いが、「早く分かる」だけでなく「長く考える」ことで見えてくるものもあるはず
長く考えるとは、情報を再処理し続けるということ
その言葉の背景についてさまざまな角度から再処理を施す 派生ページ
関連本