WRM:20220627:「Scrapbox知的生産術09「コンテンツの二段階設計」「WorkFlowyアプリのカスタマイズ」
Q. 集中して作業できるときは、どんな状況でしょうか。
どんな時だろうえむおー.icon
集中とはどんな状態なのかを考えてみる
自分で言えば「音」が重要なのかも
昔から、集中するときはなるべく音がない状態だったことが多い
勉強する時もなるべく音がない状態、図書館などで勉強していた
音楽を聞きながらは全く捗らなかった
「集中とは、目の前のタスクについてだけ考えている状態」はどうだろう
これだと、目の前の勉強について考えてはいるものの、どうやって進めようか、なぜ進めているのか、を考えている状態も含まれてしまう
そしてこれは当然集中していない状態
これなら自分のイメージしている集中のイメージに近い ゲームに集中してる時、スポーツに集中している時、この状態になっている、と思う
ただ、ちょっと長い
Scrapboxを、考えを駆動させるエンジンとして使う。それがデジタル・カード・システムの胆である。 思考のためにカードを関連させる
では、どうやってリンクをつけるのか?
まず、最初に自分の考えを文章で書き、タイトルをつける。それを読み返しながら、「ああ、そういればこれはあれとつながっているな」と思いついたとする。
これが難しい
「ああ、これはあれと繋がるな」と思いつくには、以前書いたカードの内容を覚えている必要があるから
実は「読み返す」が重要なのでは?
文章は書くだけでなく、読み返すことが重要
楽ではない
楽であったらそれは考えていない
時間をかけて、ある程度ストレスを感じていないとそれは考えているとは言えないのではないか
Scrapboxはリンクをつけるハードルを多少楽にしているが、ただつけているだけでは思考の深まりは起きない
何度もいうが、読み返すが重要なのではないか
そして残念ながら、私は読み返すことをしていない
とは言えです。
接続語のつけ方が上手なんだろうな
上記の「とは言えです。」は、普通なら「とは言え、〜〜」といった具合に使われることが多い
しかし、
倉下さんはこの逆接の「とは言え」を「とは言えです。」と一文に独立させている
あえて一文で立たせていることで、読者に「ここから逆の内容が書かれているのだな」と想像させやすくしている
しかも、
逆接のあとは筆者の言いたいことが書かれるので、より伝えたいメッセージが際立つ
入り口部分はわかりやすくアピールして、しかしその中には洞窟があって何が待っているのか(何に遭遇するのか)わからない。そんな二段構えでコンテンツを構成するという考え方です。 前半は哲学書でありながら、後半は技術書になっていた
当然、流れはスムーズで違和感を覚えない