第4章 荒れ狂った海
人との関係はどのようにして人の身体、心、魂に浸透していくのか
ロミオがジュリエットの死の報告(後でその報告は誤りとわかりますが)を受け取ったとき、彼は自分も死のうとして、すぐに彼女の墓に向かいました。あまりの悲しみにより狂乱したロミオは、最も信頼していた使用人であるバルタザール(ロミオは彼が死を止めに来るかもしれないと思っていた)に向けて、次のように嘆きました: しかしもしお前が心配になって見に来るようであれば、
私はお前の手足をばらばらに引き裂き、
それを墓地の周りにいる動物に食わせてやる。
私は野蛮で残酷な計画を持っている。
私は、飢えたトラや荒れ狂う海より、激しい思いを持っている。
現代においてもなお、愛より凶暴なものはありません。
ロミオの苦悩の叫びは真実をついています。それは吟遊詩人が感じるのと同じく、感情的な構造のなかで発生する共鳴です。 ある人を失ったときの衝動、愛する人との再会を切望する衝動の本質は何でしょうか?
何が 情熱を残忍で容赦ないものにしているのでしょうか?
私たちの文化は、このような古い知恵を忘れ、不可解な講義や教育用ビデオテープの下にそれを埋もれさせてしまっています。
人との繋がりは天気の話題と同じようになっています
誰もがそれについて語りますがが、それについてどうすべきかを誰も知りません
関係性、集団への所属、忠誠心、子育て、などは私達の生活にしっかりと編み込まれているため、私達はそれが動物界全体に広がった活動だと前提しまいがちです。
しかし殆どの生き物たちは、そのような行動をする理由を持ちません。
共食い、特に親が栄養のために子を食べることは、人間にとっては胸クソが悪くなるような行為です。しかし多くの種にとって、子どもたちとそのひ弱さとの間にある境界性は曖昧です。 グッピーを飼っている友人によれば、親が子を大規模に食い散らかすので、彼女は子どものグッピーたちを隔離する必要があることに気が付きましたが、その後それを諦めたそうです。
ペットショップの店長によれば、そのような無差別的に行なわれる子食いは、グッピーでは普通のことだそうです。
「私の家ではダメ。絶対に駄目」と彼女は疲れた顔で答え、魚たちをトイレに流しました。 もし彼らが海まで到着できれば、そこでまだ共食いしているかもしれません。 前章で出会った小さなワニは警戒するのに十分な理由がありました。10匹中9匹のワニは、最初の誕生日の前に捕食者の腹の中で生を終えます。
ほとんどの場合、密猟者は大人のワニです。小さい生物をむさぼり食うという衝動がいかに大きいかを考えると、小さくて虚弱な人に対する優しさ、世話、そして心配に思う気持ちが私たちを襲うことは、まさに驚異的なことです。
それらは辺縁系のおかげであり、哺乳類の絆が破壊されたときに噴出する怒りと涙もそうです。その奇跡的な絆は何から作られたのでしょうか?
私たちと同じくらい社会的な動物にとって、その質問は、生の全体を決定づけるものです。
結びつけ締め付ける絆
オーストリアの医師でノーベル賞受賞者のコンラッド・ローレンツは、ある子供向けの本を書くために、人間の絆についての科学的な調査をした。 ローレンツはドイツのアルテンブルクにある大きな家で育ち、そこで昆虫、魚、爬虫類、犬、猿を飼っていた。
彼の親は「私の動物に対する節度のない愛情に対して、非常に寛容」だったと彼は言う。
彼は、あるいたずら好きの少年がガチョウの渡り鳥の群れに加わるという「ニルズの不思議な冒険」を読み、その後に鳥は彼の生涯のパートナーとなった
「そのときから私は野生のガチョウになりたいと思っていて、あるときこれが不可能であることに気づき、ガチョウを飼いたいと思いました」とローレンツは言う。 彼は裏庭で水鳥をじっくり観察することに没頭し、以下を確信した
ガチョウの行動のうち、母と子の絆を含む多くのものは、本能的なものである
ローレンツの最も有名な研究は、母鳥が休んでいるときにそのまわりにまとわりつき、母鳥が歩いているときはその後をよちよちと追いかける、アヒルのひなとガチョウのひなについてのものである。
母親の後ろに赤ちゃんアヒル達が連なる光景は、幼稚園の本読み練習について知っている人なら誰でも見慣れているものです。
しかし、ローレンツの疑問は、
どうして子アヒル達は、誰の後をついていくべきかを知っているのだろうか? というものでした。
少年時代、彼は生まれたての幼鳥が母親の代わりに彼の後を追うのを見て喜んでいた。
科学者として、ローレンツは、アヒルの子は、たとえどんなに信じられない外観をした母親であっても、生涯の早い段階で動くものを見れば、それがどんなものでも付いていくことを発見しました。
ローレンツは、野生状態におけるガチョウのひなが母ガチョウの後を付いていくとき、食べ物を与えてくれて危険から守ってくれる親という存在を認識しているから付いていくというわけではない、ということに気が付きました
赤ちゃんガチョウは進化により
「何かについていく」
という神経的に組み込まれた(ハードワイヤードされた)動作を身につけていた
その原則は、大雑把に母親とみなせるような見かけをもつ全てのものに対して適用される。つまり
「人生の初期に見たもの」と「動いているもの」という条件
卵から孵ったばかりの鳥がはじめに見るものは通常は母親
しかし、鳥の神経システムは、その母親らしき物体の特徴を詳細に検討するわけではないので、その神経システムは間違えるときがある。
ローレンツは「インプリンティング(刷り込み)」という言葉を使った 鳥やほ乳類が、人生の初期に出会ったものを親だとみなしてしまう性質のこと
これは、下記の偽物の母親との絆を作り出す
子羊がテレビのセットを
モルモットが木製のブロックを、
サルがワイヤーを曲げて作った円筒型の模型を
それぞれ母親だとみなしてしまうこと
刷り込みは、社会的な交流への入り口とも言うべき、神経システムの原始的な動きの現れであり、その硬直性の多くは、その原始的な神経回路の性質におおきく依存している。
人間同士の関係も、そのルールへの適合性を強く持つ。
霊長類の愛着行動は、ガチョウのひなの愛着行動よりは柔軟性がある しかし人が予測するほどおおきくは変化しない。
13世紀の神聖ローマ皇帝で南イタリアの王であるフレデリック2世は、知らず知らずのうちに人間の絆の最初の研究を行った。
皇帝はいくつかの言語を話した
皇帝は一言も話しかけないで子どもたちを育てることにより、人類の生まれつきの言語を決定できると考えました。
実験的君主の功績を記録したフランシスコ会修道士のサルティンベネ・デ・パルマは、「フレデリック皇帝は、里親や看護師に子供たちに乳をやること、子どもたちに水浴びさせ、洗うことを命じた。しかし子どもたちがおしゃべりしたり話したりするほど賢くはならなかった」と書いた。皇帝自身が、ヘブライ語(第一言語)、ギリシャ語、ラテン語、アラビア語、または両親の言葉を話せるようになったこととは対象的に、子どもたちは話し始めることはなかった。
フレデリックの運動は、言語学的な結果をもたらす前に終了しました。というのは、すべての幼児が、一言でも話せるようになる前に、死んでしまったからです。皇帝は、「子供たちは手を叩いたり、身振りをしたり、表情やうれしさを味わったりしないと生きていけない」という驚くべき発見をしました。
800年後の1940年代、精神分析医のルネ・スピッツは、フレデリックの実験の再現という不幸に巻き込まれてしまった幼児について報告しました。スピッツは、孤児院の家や施設で育てられた孤児の運命と、刑務所で若い母親から引き離された赤ちゃんの運命について説明しました。当時検証されていた細菌の理論(細菌が引き起こす病気についての知識)を重んじ、施設内の赤ちゃんは食事を与えられ、衣服を着せられ、暖かく清潔に保たれた一方で、(養育者が)その子どもたちと一緒に遊んだり、抱えたり、抱きしめることをしなかった。人間との接触は、子どもたちを危険な感染性生物にさらすリスクがあると考えられていました。
スピッツは、子どもたちの身体的ニーズは満たされたものの、子どもたちが引きこもり、病弱になり、体重を減らしてしまうということが避けられないことを発見しました。子どもたちのうち多くは亡くなりました。致命的な皮肉として、隔離して感染を防ごうとしたその感染自身が、子どもたちが最も脆弱性を見せたものでした。 例えば、施設外のコミュニティにおける子どもの麻疹死亡率が 0.5パーセントだったときに、(施設内の)麻疹にかかった子供の40パーセントは、ウイルスに屈しました。「最高の設備を備えた最も衛生的な施設が、最も最悪の犯人だった」とスピッツは書いている。
世紀の変わり目近くに存在していた、いわゆる「無菌保育園」での死亡率は、決まって75%を超え、少なくとも1つの例では、ほぼ100パーセントでした。スピッツは、人間の相互作用(だっこ、優しいささやき、泣いているときになでてあげること、ばぶばぶいうあかちゃんと話してあげること、そして一緒に遊ぶこと)の欠如が、乳児にとって致命的であることを再発見しました。
なぜ人間との接触、つまり「ジェスチャーと顔の表情についての喜び」が、生理学的必要性としての食物と水であると位置づけられるべきなのでしょうか?イギリスの精神分析医ジョン・ボウルビーは、1950年代にこれを研究テーマとして選びました。生まれついての反逆者であったボウルビーは、所属する教会に対して反旗を翻すようになる前に精神分析のトレーニングをかろうじて完了させました。彼の創造性は、フロイトのメタ心理学とローレンツの動物行動学とを融合し、人間と動物の結合行動の類似点を描くモデルである愛着理論を生み出しました。ボウルビーは、人間の乳児は母親との本能的な行動の絆を確立することにより安全性を促進する脳システムを生まれ持っていると理論付けました。そのきずなは、母親が不在のときに苦痛を生み出し、子供がおびえたり痛みを感じたりしたときに、二人がお互いを探し求める衝動を引き起こします。 当時、ボウルビーのアイデアはスキャンダラスなものでした。フロイト派は、母親と乳児の絆を「愛のひきだし」と見なしていました:
つまり乳児が母親を評価するのは母が彼の存在を喜ばせてくれるからであり、それは母が彼に食べ物を与えるときに彼を評価するのと同様です。ボウルビーの生物学的な絆というアイディアと、それがもつ個人の捉え方についての優位性に対する挑戦は、精神分析医たちを激怒させました。彼らはボウルビーをナイーブな冒涜者だと非難した。
ボウルビーが彼の極めて重要な論文「母親と子供の絆の性質」を発表した後、アンナ・フロイトは冷ややかで厳かなトーンで彼を非難した:
「私達は外界の出来事を扱っているのではなく、その出来事が心に与える影響を扱っているのです」。
これは戦いの始まりを告げる言葉でした。精神分析医をその現実性という側面から非難することは、言葉により相手を滅ぼすことであり、それはあたかも作曲家を音痴と読んだり、外科医をぶきっちょと呼ぶようなものでした。
ドナルド・ウィニコットはイギリスの小児科医から精神分析医に転じ、当時は英国精神分析協会の会長を努めていましたが、ボウルビーの理論は彼に「嫌悪の一種」を引き起こすことになった、と書いています。ボウルビー自身のセラピストであったジョン・リヴィエレでさえ、彼を避難するために開かれた精神分析関連のある会合で、彼を避難する声明を出しています
ボウルビーの時代、アメリカの精神分析医のほぼ全員が精神科医であり、その逆も同様でした。スピッツとボウルビーは、この職業の従来の伝統的な作法と格闘していました。その一方で彼らの同僚であるアメリカの心理学者達は、それとは異なりますがそれより小さくもない、従来のイデオロギーの窮屈さからくる悩みを抱えていました。行動科学の非医学部門としての心理学は、行動主義の鉄則の下で数十年にわたって運営されていました。
母親と乳児の関係の心理学的モデルは、それが恥ずかしい服従のモデルである、という焼印を押し付けることになりました。報酬と罰という2つの構造は、鳩にレバーを突かせ、ネズミに迷路を走らせ、人間の関係性を形作る万能の道具として扱われました。行動主義者は、赤ちゃんを手に負えない実験動物のように扱うよう両親に助言しました。泣いている乳児を慰めることは禁じられました。 彼らによれば、乳児の苦痛に注意を払うことは、泣いてぐずるという有害な表現を単に強化して促すだけの行為です。有名な行動主義者のジョン・ワトソンは「母の愛は危険な道具です」と警告しました。親の愛情は大抵の場合、健康な子供を感情的な不具者に貶めてしまう、と主張しました。「抱きしめてキスしないでください」と彼は両親にアドバイスしました。「彼らを膝の上に載せないでくだたい。どうしてもそうしなければならない場合、おやすみのキスを額に一度だけしてください。」と言いました。 50年代のハリー・ハーローの有名な仕事は、関係性に関するフロイトとパブロフのモデルに対して、ハンマーの一撃を加えました。 後で長い間悪評の的となる運命にある、大学の教科書に記載されるものとしてよく知られるようになる実験として、ハーローは、若いサルに2匹の代理母(機械の授乳機)を選ばせました:
哺乳瓶を備えているが、円筒形の金網でできた代理母
栄養物を提供しないが、布パイル地でできた代理母
赤ちゃんざるは例外なく、金属ワイヤー製の母親には食事するのに最低限な頻度と時間でちょいちょいと近づくだけである一方、ふわふわした代理母の方をママとして扱いました。彼らは彼女を握りしめ、彼女に怒鳴り、彼女を抱きしめ、心配すると彼女の後ろに隠れました。ミルクは、それが強化報酬だとしても、イドを満足させる特効薬(エリキシル)だとしても、いかなる関係性をも確立することができませんでした。試行錯誤の後、母親の猿に似せた人形を作れば作るほど、小さな猿は夢中になりました。
新生児の母親との近接性は、生まれたときから持っている必要性に支えられると考えていたボウルビーの愛着理論のみが事実に適合しました。 彼の見解では、乳児は自分で動く能力がほとんどない状態で生まれ、母親がいなくなってしまった場合、乳児は泣くことにより、彼女を近くにいさせることができます。
これは遺伝的に先祖から引き継がれてきたクラリオン(訳注: 高音のラッパ)であり、これが通常の母親を、その子が見つかるまで探し続けさせるものです。
赤ちゃんが筋肉の協調を発達させると、愛着行動はより精巧になります:子供は母親に近づくために手を伸ばし、しがみつき、手を振り、ハイハイし、ママが近くにくるまで泣きわめき続けます。
愛着行動は、ほとんどの行動がそうであるように、初期には不器用で落ち着きのないものですが、時間が経つにつれて、子供と母親はその間に流れる相互行動的な相互作用の一部になります(訳注:流れの中で流れの一部になるということ)。
子どもたちは、分離状態による苦痛を最初に通常の叫び声で、その後に痛切なコミュニケーションとして表現します(「今すぐ手を握ってほしい」)。しかし、泣き声でさえ、人が思うほど一般的な信号ではありません。乳児の空腹の叫び声には独特の音の特徴があります。赤ちゃんが泣いているとき、その母親がおむつではなく哺乳瓶に手を伸ばしたとすれば、彼女は自分の子供が必要としている以上のものを推測しているのです。
ある一定の条件の下では、子どもが親の側にいたいという本能的な欲求が強力に表現されます。見慣れない場所、人、または物。恐怖、痛み、寒さ、病気、強制的な分離。大人もこのような形の認識を持つことは証明されますが、通常私達はその輪郭をめったに認識しません。しかし、高校生のカップルが一緒に怖い映画を見たいという気持ちになるのは、絆の深さを増幅するという恐怖の性質によるものです。同じメカニズムが、戦時中や災害時のように、心的外傷体験を共有する人々の間の絆を織り上げます。ブートキャンプ(軍隊の新兵訓練)や学生クラブの入会式などの計画者は、このプロセスを利用して、互いに似ておらず意見の異なる見知らぬ人間同士の連携をつくります。
子供たちは成長するにつれて、愛着状態へと結びつく外見を減らします。8歳の子どもは4歳の子どもよりもデパートで母親の手を握る頻度は少ないでしょうし、14歳の子どもはどんなときでも親の手を握ろうとはしないでしょう。
しかし、基礎となる絆は存続します。
いつか破壊的な出来事が起きて、その隠れた正体を表すまで、愛着は明白な兆候がなくても増殖します。
人々は出発フロアと到着フロアでお互いを抱きしめあいます。とても馴染みのある行為であり、慣習に過ぎないと考えるかもしれません。しかし、この抱擁のスタイルには愛着の静かな証拠が含まれています。強制的な別れ、またはその予感は、人々が皮膚と皮膚の接触を再度確認させることを引き起こす当のものです。
柔軟な時期
精神科医は、人生の最初の数年間に起こる極めて重要な出来事が人格を決定すると主張することで有名です。一部の懐疑論者はこの主張を疑いの目で見ていますが、人間の愛着の研究はそれが真実であることを証明しました。
20年以上前、発達心理学者のメアリー・エインズワースは、母親と新生児を調査し、母親の気質が、赤ちゃんのその後の人生における感情的な特性を予言することを発見しました。彼女は最初に母親の赤ちゃんに対する世話の仕方を観察し、世話をするスタイルを3つのカテゴリーに分けました。
1年後、エインズワースは短い時間の分離に対する反応を観察することにより、子どもたちの感情をテストしました。
一貫して気配りがよく、反応がよく、赤ちゃんに優しい母親は、
「安全な」子供を育て、世界を探索する安全な避難所として母親を使用しました。
母親が子供の元を去ったとき、彼は動揺してうるさくなり、彼女が戻ってきたとき、安心して喜びました。
冷たく、怒りっぽく、硬直した母親は、
「不安な回避型」の子どもを作りました
母親の不在に無関心を示し、母親が戻ってきても彼女を無視した
背を向けたり、ハイハイしたりして、部屋の隅にある魅力的なおもちゃに向かいます。
注意散漫で不安定な母親は、
「不安などっちつかず型」の子どもを作りました
母親が一緒にいるときは抱きしめ、2人が離れたときには嘆きと悲鳴に溶け、再会した後でも慰められないままでした。
子どもが成熟するにつれて、母親の育児傾向が、出芽する性格の特性を左右するものになった。
敏感な母親の赤ちゃん
幸せで、
社会的に有能で、
回復力があり、
持続的で、
好感が持て、
他者に共感する小学生に成長しました。
彼らにはより多くの友人がいて、
親密な感じでリラックスしていて、
できる限り自分で問題を解決し、
必要なときに助けを求めました。
冷たい母親に育てられた乳児は、
権威に敵対し、
団結を避け、
傷ついたときも慰めを求めず、
人との距離が遠く、届きにくい子供に成長しました。
彼らはしばしば意地悪で、他の子供たちを挑発し、動揺させることに喜びを感じているようでした。
予測不可能な母親の子どもは
社会的な能力が低く
おどおどしており、
過敏で、
自信に欠ける子供に変身しました。
注目を集めることに貪欲で簡単に不満を持つようになり、
通常一人で行うことができると考えられる単純なタスクにもいつも助けを求めるようになりました。
その後、エインズワースが慎重に始めた研究は、大量の綿密な研究に膨れ上がっています。長期的なデータはまだ積み重なっている途中です。
子供は幼児期から10代まで追跡されています。愛着が与える安全だという感覚は、人生の成功を予測する大きな要素であり続けています。
安全な愛着を持った子供たちは、自尊心をもち周りに人気がある高校生としての優位性を持つようになりますが、
不安定な結びつきをもった子どもたちは、思春期の悲しい罠である、非行、麻薬、妊娠、エイズという諸問題に向き合いやすくなることが証明されています。
出生後約20年で、学問的、社会的、個人的な変数は、、ゆりかごで子供をじっと見つめていた母親がどのような母親であったかということと相互に関係しています。
エインズワース(および彼女をフォローした多くの研究者)は、母親が赤ちゃんに何をしたかということ「こそ」が重要であるということを証明しました。
母親は子供たちとの間に、
長く続く重要な方法であり、
子ども自身の利益または損失に結びつくものであり、
それを当てにして生きることになる、
感情的な特性のいくつかを授けることになります。
この研究の結果は、常識と一致しています。
子どもを育てることにはあらゆる才能やスキルが必要だとすれば、
また親としてやっていくことは条件反射よりも複雜な神経の働きだとすれば、
感情的に健康な子どもを育てるためには、より熟達した方法が必要になるということは避けられないだろう。
そして愛着理論の研究により、このような親とは誰で、どのようにして何をすることが可能か、ということを学ぶことができるだろう エインズワースは、母親が子供の世話に費やした時間と、その子どもの精神的健康度(しかも母親と過ごすより効果的な精神の健康さはない)との間に、単純な相関関係を発見しませんでした。
安定的な愛着をもって育てられた子供たちは、必ずしも母親の腕に抱かれた回数が最も多かったり、最も長く抱かれたりした幼児ではありませんでした。
代わりに、エインズワースは、子供が抱きしめられたいときには抱きしめられ、放って置かれたいときには放って置かれたとき、安全な愛着が生じることを観察しました。
こどものお腹が空けば、母親はそれを知り、おっぱいをあげます。
子どもが疲れれば母親はそれを感じ取り、こどもをゆりかごに入れて眠りやすいようにします。
母親が赤ちゃんの明確な欲求を感じて行動した場合はいつでも、彼らの相互の楽しみが最大であっただけでなく、数年後、その子は安定したこどもになりました。
母親と子供との間にどのような奇跡があれば、母親はいつ乳児に近づくべきか、いつ乳児を受け入れるべきか、赤ちゃんが抱っこの暖かさを必要としているのはいつか、そしていつ息抜きをしたがっているのかを知ることができるのでしょうかか?
辺縁共鳴が、そのテレパシー能力の手段を母親に与えます。
母親は子供の目を覗き込んで、子供の内的状態にチューニングを合わせることにより、赤ちゃんの気持ちやニーズを確実に直観できます。それを継続的に続けると、子供の感情的な構成が変わります。
そのプロセスの正確な詳細は現在、明らかになりつつあります。関係性の下に横たわっている神経システムがその秘密のいくつかを明らかにしつつあります。
ボウルビーは、愛着の目標は幼児の身体的安全を確立することであり、その無力さには近くの保護者が必要だと考えました。彼の考えは当時は大胆でしたが、人間関係の範囲は彼が想像したよりもはるかに大きいです。
愛の解剖学
喪の作業から電撃へ
子犬を母親から引き離して柵に入れると、愛着の絆が断絶する場合に哺乳類がとる一般的な反応 ーこれは、哺乳類が共通して持つ辺縁系という構造が引き起こすものですー を知ることが出来ます。
短い分離は「抗議」として知られている急性反応を引き起こしますが、長い分離は生理的な「絶望」の状態をもたらします。 オリに入れられた子犬は、最初に抗議の段階に入ります。 彼は疲れを知らずに歩き回り、見晴らしの良い場所から周囲をスキャンし、吠え、床を無駄に掻きます。
その犬は彼の刑務所の壁を拡大しようとエネルギッシュだけれども実ることのない試みを行い、そして失敗するたびに打ちのめされます。
犬は甲高く吠え、癇に障るような哀れな泣き声を出します。
彼の行動は、彼の苦痛のあらゆす側面を表します。
それは、すべての社会的な哺乳類が、その愛着を持つ他者を奪われたときに示すのと同じ不快感です。
若いネズミさえ、止まらない超音波の叫び声を上げて抗議するという事実があります。
ヒトの大人も、他の全ての哺乳類と同様に、抗議の反応を示します。
一度は夢中になった後に突然振られたことがあるすべての人(つまり、私達のほぼ全員)は、抗議という段階を直接体験したことがあります。 抑えることのできない落ち着きのなさ、
人と接触したいという強い衝動(ただ話したいという気持ち)
失ってしまった人の幻影(行き過ぎた用心深さを伴う訴求と盲目的な希望とを熱狂的に組み合わせたもの)をあちこちに見出します。
接触を再度接続しようとする心の動きは恐ろしいほど強いため、大抵の場合はそれに抵抗することができません
他の人が自分に何もしてほしくないということを理解していても、それをやめられません
人間は
長ったらしい文字を使って人を探したり呼び出したり、
必死に電話をかけ、
繰り返し電子メールを送り、
相手の声を聞くためだけに留守番電話をかけます。
https://gyazo.com/64692eab91a31f5a876b542fc411fe91
抗議段階の行動と生理学。(1987年、Hoferから引用) table:行動
増加 振る舞い
動作の激しさ 詮索したがる
声の響き
table:生理学
増加
心拍数
体温
カテコールアミンの生理反応
コルチゾールの生理反応
抗議中の哺乳類は、明確な生理変化を示します。
カテコールアミンとコルチゾールのレベルと同様に、心拍数と体温が上昇します。
カテコールアミン(アドレナリンなど)は、注意力と活動性を高めます。
母親を亡くした若い哺乳動物は、彼女を見つけるのに十分な時間警戒し続けるべきであり、抗議中のカテコールアミンの増加は彼の警戒を促進します。
古くから存在するこのような愛着反応の仕組みは、その状態が解消した後であっても、人間が一晩中天井を見つめ続けるという反応を引き起こすことがあります
コルチゾールは体の主要なストレスホルモンであり、
離れ離れになった哺乳類の体内でコルチゾールホルモンが急激に上昇した場合、その関係の断裂が重度の身体的ストレスとなっているということを示しています。
一部の哺乳類では、隔離状態になってからわずか30分後にはコルチゾールレベルが6倍に上昇します。
心の不満
一匹の子犬がはじめた抗議段階は、永遠には続きません。 子犬が母親と再会すれば、抗議行動は終了します。
もし分離が長引くと、第二の段階に入ります:絶望です 絶望は抗議と同じように首尾一貫した生理学的状態であり、哺乳類が共通して持つ、一連の行動傾向と身体反応です。
絶望は、苛立ちがおさまり、ついで倦怠感・無力感に陥ることから始まります。
そのときその動物は前後に体をゆすることをやめ、すすり泣きをやめ、落胆して塊の状態になるように丸まります。
彼は少ししか飲まず、食べ物にまったく興味がないかもしれません。
友だちや遊び仲間が檻のかなに一緒に入れられると、彼はその友だちを暗い目で見つめ、背を向けることがあります。彼は落ち込んで、落胆したような姿勢と悲しい表情をします。感情的な表現力の普遍性が私たちに知らせてくれるように、絶望している哺乳類は悲惨に見えます。
絶望期の生理学的特徴は、身体リズムの広範囲な混乱です。
心拍数は低くなり、
心電図では、健康な心臓のメトロノームリズムの行列を細い振動が横切るという異常な鋸歯状のビートが見つかります。
睡眠の状態は大幅に変化します。
睡眠はより軽く、夢やレム睡眠は少なくなり、夜間に目覚めてしまうことが増えます。
生理的パラメーターの上昇と下降を、太陽の明暗サイクルとの間で調整する役割をする概日リズムも変化します。
血中の成長ホルモンのレベルは急落します。
免疫調節でさえ、長期間の分離に応じて大きな変化を受けます。 https://gyazo.com/d08be07108b607c7951e42b43f33e9d1
孤立したアカゲザル。(カプランとサドックの精神医学の概要、第8版から。リピンコット、ウィリアムズ&ウィルキンスの許可を得て転載。)
死を悲しんでいる人は誰でも内側からの「絶望」を知っています: 身体が鉛のように重くなること
喪失対象を覗いた世界全体への無関心
食物への嫌悪
自分を閉ざしたい衝動
眠れないこと
容赦ない灰色の世界
悲しみは、大うつ病の状態にあるとはどのようなことかということを理解させてくれます。
絶望とうつ病は近縁であり、実験動物の絶望は人間のうつ病のモデルとしてよく使用されます。
私たちが人間の大うつ病と呼ぶ病気の状態は、絶望反応のねじれた変形かもしれません。しかし、愛する者の死という脳内の不在状態に対して、
どのようにして神経が適応するかについては、今でも不明のままです。
長く続く分離状態は、感覚以外にも影響します。絶望により、多くの生理的数値がめちゃくちゃになります。分離状態は身体を狂わせるので、人間関係を失うと身体の病気を引き起こす可能性があります。成長ホルモンのレベルは絶望的に落ち込みます。
愛を奪われた子供たちは成長を止め、カロリー摂取量に関係なく体重を減らします。
狭い病院に長期間入院することを余儀なくされた子どもたちは、しばしばこの病気になりました。
ルネ・スピッツは、彼らの苦悩を「ホスピタリズム」と呼びました。この用語は、「『元気いっぱいであり続けること』に失敗した」という状態を語義矛盾的・遠回しに指し示す用語として、今でも使い続けられています。
その子どもが関係の喪失を原因として身体的なダメージをうけているということを医師が確認した場合、両親との接触をただ増やすことによって、彼らの生存率は高まります。
https://gyazo.com/d40da581e4db468b1f10fd4a2a634fe7
絶望段階の行動と生理学。(1987年、Hoferから引用) table:行動
減少 増加 振る舞い
動作の激しさ 一人で縮こまること 前かがみの姿勢
声の響き 悲しい顔の表情
社会性
食料/水の摂取
遊び
table:生理学
減少 増加
心拍数 睡眠の中途覚醒
体温と体重 不規則な心拍
ホルモン成長
酸素消費量
REM睡眠
細胞の免疫性
大きな喪失に打ちのめされるのは、子供だけではありません。
長期の分離にさらされた成人では、
心血管機能
ホルモンレベル
免疫プロセス
が妨げられます。
そして、病気や死は、結婚や配偶者の喪失の後にしばしば起こる。
たとえば、ある研究では、社会的孤立が心臓発作後の死亡率を3倍にしたことがわかりました。
別の研究では、グループ心理療法に参加することで、乳がんの女性の術後寿命が2倍になることがわかりました。
第3に、強い社会的支援を受けた白血病患者の2年生存率は、それを欠く患者の2倍以上であることを付け加えます。
Dean Ornishは、その魅力的な本「愛と生き残り」(Love&Survival)の中で、孤独と人間の死亡率との関係に言及している医学論文について調査し、このように結論しました:
多くの研究が以下を示している
孤独な人は、面倒を見てくれる配偶者や家族やコミュニティに囲まれている人に比べて、あらゆる原因における早死にの率が、3倍から5倍程度多いように見える。
上記のような研究は、ほ乳類が集団生活をすることの医学的効果を裏付けている
だからあなたも、例えば乳がんのあとのグループセラピーのような方法が現代のスタンダードになっていると考えるかもしれない
しかしもう一度状況がどうなっているか推測してみてほしい
集団への帰属は、薬物や手術とは異なる。そしてそれは、西洋の医療ではほとんど目に見えないものである。
私達の世界の医者は、これらの効果を知らされていないわけではありません。それどころか、ほとんどの医者はこれらの研究を読み、不承不承ながらもその知的成果を受け入れています。
しかし彼らは「信じて」いないのです:
愛着という、噂にのぼっている幽霊のような存在に基づいて基本的な治療方針を決める、というようなことは、彼らにはできないのです。 既存の医療には、人間関係「こそ」が生理学的プロセスであり、それが薬剤治療や手術と同じような現実性と潜在能力を持つということを受け入れる余地がないのです。
隠れた説得者
科学とは、自然界自身が持つ固有の論駁構造あるいは反撃形式 ーつまり組織化の神秘ー の1つです。
科学の一般的な形は以下のようなものです
物事を系統立てて結論を導く
それを、秩序だった論文という形で発表する
そして、その入念な一歩ずつの進歩により、知識の視野を広げる
偉大な科学者の考えは、この日々の鍛錬に参加するとともに、それを一旦停止させます
その停止状態は、自由な回転を可能にするための精神的なエンジンという混じり物のない愛に、道を譲ります
そして、
ケクレは夢の中でベンゼン環の構造を夢想し、
フレミングがカビの周りにある丸い輪を顕微鏡で見つけて、ペニシリンが生まれました
気まぐれで副作用的で整合性が欠如しているためにこれまで見逃されてきた事象の中に、知られないまま消えていった科学上の革命がいくつあったかを、だれが知り得るでしょうか?
1968年、マイロン・ホーファー(現在はコロンビア大学精神医学部教授かつ発達心理生物学部長)は、偶発的な事故が起こったときの心拍数の変化を脳が制御する仕組みについて、調査していました。
彼はある朝仕事場に来たところ、自由を求める母ネズミがケージをかみ、夜中に逃げ出してしまったことに気が付きました。
ホーファーは、取り残された子ネズミたちの心拍数が、通常の半分以下であることに気づきました。
彼は、子ねずみたちの心臓組織が母親の温かさを失って冷やされてしまったからではないかと推測し、彼がそれまで温めてきた仮説をテストすることにしました。彼は孤児ネズミ達を、母ネズミと同じ形をしたヒーターのところに連れてきました。
驚いたことに、子ネズミたちの心拍数は、ヒーターで温めた前後であっても変化しませんでした。
どういうわけか母ネズミは、肉体のないヒーターにはない、有機体としての体温調節力を持っていました。
この神秘的な母性の力に興味をそそられて、ホーファーは、孤児ネズミの不可解な生理状態を調べ始めました。
彼は何度も実験を行い、行方不明の母ネズミがもっていた物理的な母としての属性をシミュレートする状況を作成しました。
母ネズミの匂いがついた布、
母ネズミが体温を放射する様子を模した放射ランプ
子ネズミたちの背中をブラシでなで、母親の毛づくろいをシミュレートしました。
ホーファーは、ある1つの母性属性を復元すると、他のいずれにも影響を与えることなく、絶望の生理学的側面を1つだけ防ぐことができることを発見しました。
母親の体温と嗅覚の手がかりが子ねずみの活動レベルに影響します
母親の触覚刺激が子ネズミの成長ホルモンのレベルを決定します。
子ネズミの胃へのミルクの供給は、心拍数を調整します
定期的に餌をやることが、子ネズミたちの睡眠ー覚醒状態を調整します
ホーファーは、母ネズミの子ネズミとの絆が不可欠かつ実体的なものであることだけではなく、
その絆自体が、それぞれの繊維が編み込まれて織り上げられたものであることを明らかにしました
そのそれぞれの繊維とは、身体の調節機能と結び付いた、それぞれ別個のものです
母は、その子どもたちの生理状態を継続的に調整し続けます。
母親の影響の1つを妨げると、それに関連した子供の生理状態を混乱させることができます
もし母親が不在になれば、その子どもたちは全ての生命維持チャネルを一度に失います。ヒモが切られたマリオネットのように、その子供の生理状態は崩壊し、絶望の沼に沈みます。
https://gyazo.com/f35a219c34a66be7264385efafb4c81a
ネズミの母子関係に隠されたルール(1987年、Hoferから引用)
以下の図は、母親の不在が赤ちゃんネズミの体に与える不調和を示します。
https://gyazo.com/c85c0a3d0aaa09e520e44c8c59f540c0
分離によって引き起こされた生理的な混乱状態。(S. Goldberg、R。Muir、J。Kerr、1995年編集のAttachment Theory:Social、Developmental、Clinical Perspectivesから。AnalyticPressの許可を得て転載。)
ほ乳類の子どもがこれらの愛着状態から外れると、体の不調を招きます
それは外部から測定でき、(その子供の) 内部では痛みとして感じられます
この身体状況の崩壊の速度は、それぞれの場合で異なります
乳児は外部からの助けに最も依存しており、その助けなしではすぐに消えさってしまいます。
年長児の安定性はよりゆっくりと衰えます
多くの大人の安定性はさらにゆっくりと衰えます。
年齢を問わず、最終的な状態変化は避けられません。
社会性を持つ哺乳類の生理状態は、その変化の速さの多寡はあれ、一定ではありません
ホーファーが描写したこのほ乳類の脆さについての発見は、人の絆について新しい見方を取るための扉を開いた。
開いた輪
ほとんどの人は、自分が住んでいる体は自己調節していると考えています。
つまり、自分の生理学的バランスは閉ループ内で発生していると考えています。 身体の直立バランスの制御
車の自動走行システム
速度をチェックし、それに応じてアクセルの開閉を調整する
その一方、車のマニュアル操作においては、「開かれた輪」の半分によって車が動かされています
つまり、完全にシステムの外側にある仲介者(訳注:運転手のこと)が、
後ろに流れ去る窓からの風景を観察し、
それによりアクセルペダルを踏む速度を調節して、
スロットルの変化を制御します
そして車の速度は上がったり下がったりします
航行システムを失った自動車は、その運命を左右する主人を失った状態です
その単独状態では、ゼロ以外のどのような速度であれ、調整することができません(訳注:速度がゼロとは停止状態=死の状態)
私達の体は、その内部に生理状態を監視・修正する航行システムを持つでしょうか。
あるいは、身体を調節する運転席には、他の誰かが乗っているのでしょうか。
いくつかの機能については、その両方が当てはまります
私たちの身体システムのいくつかは、閉じた自己調節ループです。その他はそうではありません。
たとえば、(親しい人と)一緒に時間を過ごす女性は、その月経周期が自発的に調整されるという事象が多く発生します。このホルモンの調和的な仕組みは、身体の繋がりが本質的には大脳辺縁系に関連していることを示しています。なぜなら、親しい友人とともにいるということは、単に同じ部屋にいる他人とともにいることよりも、容易に同期状態を発生させるからです。
多くの科学者は現在、このような身体の調和機能は正常な状態であるというだけでなく、哺乳類にとって必要であると信じています。哺乳類の神経系は、その神経生理学的安定性を相互的な協調システムに依存しており、その安定性は親密な愛着対象との同期から生じます。
何かの行動に対して抗議するということは、このような生命維持のための調整機能が破られているということを知らせる警告です。このような調整機能の中断が続くと、生理的リズムは絶望という痛みを伴った無秩序状態に陥ります。 進化は哺乳類に光る水路(訳注:涙の暗喩か)を与え、ほ乳類はそれを使用して
お互いの生理機能をいじくり合い(訳注:tinker=いじくる、改善するために細かい調整を繰り返す。良くしたり調整し合うだけではなくときには致命的な結果を引き出すことがあるという含み )、
愛という協調的なダンスによりお互いのこわれやすい神経リズムを調整し、それを強めます。
私達はこれを「辺縁系変動」の交換による相互同期、と読んでいます。
人の身体は何千もの生理状態を常にチューニングしています
心拍、血圧、体温、免疫機能、酸素飽和度、血糖値、ホルモン値、血中の塩分濃度とイオン濃度、新陳代謝物質、など
身体システムを閉ループとして捉えた場合、それはそれぞれの生理値を自ら観察し、その矯正手段を自己調達することにより、その孤立したシステムのバランスを継続的に調整しるという構造になっています。
しかし人間の生理状態は、(少なくとも部分的には)開ループであるため、自身の機能を全て自分自身が制御することはできません。 第二の人間が、第一の人間の身体内部の以下の状況を変える情報を、第一の人間に向けて発します
ホルモンレベル、心血管機能、睡眠リズム、免疫機能など
相互プロセスがこれと同時に発生します:
つまり、第一の人間は、自分が変えられたと同じように、第二の人間の身体状況を変えます。
どちらのプロセスも、彼(第一の人間)が自分自身で全てを引き起こした機能ではありません:
お互いが(訳注:第一の人間と第二の人間の両者が)、誰か自分以外の別の人間だけがそれを補完できるような開ループを持つ、ということです。
彼らは共に行動することで、安定して正常なバランスが取れた組織のペアを作り出すことができます。そのとき彼らは、彼らの辺縁系から生み出されたオープンチャネルを通じて、彼らがお互いに補完しあうデータを交換することができます
現代の用語で言えば、赤ちゃんはほとんどの生理機能の
「ガバナンス(管理)」を両親に「アウトソース(外注)」しており、
何ヶ月後あるいは何年後かに渡ってそれらの義務を徐々に「インハウス(自己管理)」状態に取り戻します
(訳注:ビジネス用語が使われており、ガバナンス=統治・管理、アウトソース=外注や社外委託、インハウス=自社内で調達すること)
赤ちゃんたちが十分成熟するより前に外部に(訳注:この世界に)さらされるという事実が、両親がその赤ちゃんに自分の生理状態を制御する仕方(訳注:栄養摂取、排泄、睡眠など)を教えさせることを強制します。
例えば以下のような研究が2つ報告されている。
その研究では、よくある普通のテディベアのぬいぐるみといっしょに寝る未熟児と、「息をする」くま(=こちらもよくある普通のぬいぐるみだが、その子の呼吸リズムと同調したリズムで膨らんだりしぼんだりするような給排気装置とつなげられている)といっしょに眠る未熟児とを、比較している。
息をするくまといっしょに寝た幼児は、静かに横たわるくまのプーさんと寝た幼児よりも、より静かな睡眠と規則的な呼吸を示した。(訳注:息をするくまの)規則的な寝息が未熟児達に呼吸の安定を教えた。これは、現代の技術が、発明へのひらめきを提供した例である。
神経システムが成熟すると、赤ちゃんはいくつかの制御処理を取り戻し、それを自動的に実行します。子育てのピークが終了した後でさえも、子どもたちは完全に自己調整するシステムに移行するわけではありません。大人になっても引き続き社会的な動物なままです:
外部からやってくる調整システムを引き続き必要とする、ということです
このような開ループという構造が意味する重要なことは、 人は自分自身だけでは安定状態のままであり続けることができない、ということです。
これは「そうするべき」か「そうするべきではない」かという問題ではなく、「そうすることはできない」ということです。
このような側面は、特に私達の社会のように個性を賛美する社会の中にあっては、多くのひとを困惑させるものです。
しかし完全な自給自足というのは、ある意味での白昼夢であり、そのような( 訳注:妄想的に)広がる泡は、大脳辺縁系の尖った切っ先によりパンクさせられます。(訳注:ある系の、またはある個人の)安定状態とは、あなたを良い状態に変化させる人を見つけ、その人の近くにいるということを意味します。
アカゲザルをその母親からあまりにも早く引き離したり、または母親が不在の状態に長期的にさらすと、そのサルは生涯にわたり、分離状態に対する脆弱性を持つようになります。辺縁系の構造が、なぜそうなるかを説明できます:
(そのような状態を過ごした子ザルは)自己を外側から観察する能力を内面化すること(訳注:自発的に湧き上がるものとすること)ができなかったために、それまで自分の外側にありかつ自分を安定させてくれるものが遠ざかってしまうと、そのような哺乳類は急激に生理学的混乱に陥ります。 不安定な母親の子供は同じ理由でしがみついています。生理機能に対する十分な閉ループ制御を身につけられなかったため、バランスを保つために外部の調整者の近くに留まらざるを得ない状態になっています。 人間の社会生活の中心にある関係性や共同性を作り出しているのは、このような生理化学の混合物です。私達は、健康な人間は孤独ではないことを、本能的に感じています。
ソローはウォルデン池での有名な隠遁生活(訳注:ヘンリー・ソロー「ウォールデン 森の生活」を参照)について、
「私は慎重に生きたいと思っていたので、森に行った。人生の本質的な事実だけに立ち向かいたかったのだ」と書いた。
しかし彼はそれらにたった一人で立ち向かったわけではない。
彼の最も近い隣人は1マイル(1.6km)離れたところにおり、コンコードの街は2マイル離れたところにあった。
ソローはその両者に十分に依存しており、友人とは頻繁に食事をしました。
童話でも実社会でも見られるように、病気が世捨て人やカジンスキー(訳注:隠遁生活後に爆弾テロを起こしたセオドア・カジンスキー)を生み出すことがあります。
人の成し得る最も残酷な刑罰が、仲間からの追放であるということは、それが大脳辺縁系の働きによるものだからです。
「ロミオの刑が、死刑から永久追放に変更された」ということを、友人であるFriar Laurenceから聞いたとき、ロミオの心は壊れ始めました: おお、君は放浪が、死ではないと言うのか?
それは毒を飲ませることも、鋭利なナイフを使うこともなく、
突然の死を意味することでもなく、それどころかそれに意味はない。
しかし、私を殺すための「追放」?それは「追放」か?
兄弟よ、そのような言葉は地獄で使われる言葉だ。
君がそのような言葉を叫ぶとは。君の心がそれほど急いでいるとは。
神のお告げを告げる君、幽霊の告白者である君、
罪を許す君、そして私の友人である君、
「追放する」という言葉で私をめちゃめちゃにするのは、本当に君なのか?
部外者
大脳辺縁系の性質は、あらゆる年齢の社会的動物について、その相互依存状態を決定づけるものです。しかし若いほ乳類は、その振る舞い方について特別なニーズをもっています。
彼らの神経系は未熟であるだけでなく、成長と変化もしています。大脳辺縁系の調節機能が指示する生理学的プロセスの1つは、言い換えれば、脳自体の発達です。つまり、愛着への向き合い方は、その子供の心の究極の性質を決定することを意味します。脳の正常な発達のためにどれほど辺縁系による相互接触が重要かについては、それらの接触の不在がもたらす壊滅的な結果において明白になります。 人間の乳児にいくら栄養を与えて服を着せたとしても、その子との感情的な接触を持たなかったとすれば、その子は死んでしまいます。
しかし幼い猿は、そのような絶望に直面しても、人間よりも耐えることができます。母親なしで飼育されたサルがそれでも生き残ることはしばしばありますが、彼らの神経系は永久的なダメージを受けています。 ウィスコンシン大学運動療法学部の教授兼学部長であり、社会的生活の欠如がもたらす神経生物学的な影響についての著名な研究者であるゲイリー・クレーマーは、「孤独症候群」と呼ばれるものの影響を調査・報告しました。
単独で飼育されたサルは、通常のサルと相互交流することができません。通常のサルが彼を拒否しつづけるからです。彼らは交尾することができません。
単独で飼育されたメスザルが人工受精を受けると、彼女たちは乳児に対する通常の哺乳類の態度の著しい欠如を示します。
すなわち、我が子への無関心および軽視と、我が子へのひどい攻撃とを交互に行います。
孤独は、大人に対しても予測できない悪影響を及ぼします 普通のサルは通常、群れの個体同士の優越をめぐる争いが安定した後には、対立状態を止めます
しかし孤立して飼育されたサルは、しばしば相手が死ぬまで戦い、しかも相手が死んだ後でさえ、敵を引き裂き、ばらばらにします。
自傷行為を行う猿は自分の腕を噛み、頭を壁にぶつけ、目をえぐります。
社会的な環境は、このような飲食などの基本行動の正常な形成さえにも影響を及ぼし、変形させます。孤立したサルは通常、食物を大食いし水を大量摂取する行動を長期的に続けます
孤立したサルがこのようなグロテスクで滑稽な状態になる理由は、ほ乳類の神経システムは自己充足的ではない、ということです。
哺乳類の脳のそれぞれのサブシステムの多くは、事前にこのようになる、と計画されてできるようなものではありません:
哺乳類が成熟するためには、神経発達に一貫した方向性を与えるような、大脳辺縁系由来の強制力が必要です
このような外部からの導きが無ければ、神経系は不協和音を発生させます。
つまりこのような場合、行動システムは打ち立てられますが、それを構成する部品の間に適切な調和がないという状態のままになります。
以前に述べた孤立したサルのように、中心的な調和を欠いたまま成長した哺乳類は、ムラがあり、不完全な状態です。
彼らの脳は、間違った時期、間違った場所、間違った方法により発生する、分断した行動を生みだします。
例えば彼らは攻撃的ではあったとしても、その攻撃性は既存の社会序列に挑戦したり、確立した地位を守ったりするために必要な、「制御された獰猛さ」ではありません。 その代わり彼らは、所属する社会のメンバーシップとは両立しない、予測不可能な暴力のゆらぎを表現します。
サルは、その子供の頃に母親がそばに付いていてくれていなければ、適切に食べたり飲んだりできるように成長することさえできないのです。
愛とその欠如は、若い脳を永久的に変えます。神経系はかつてそのDNAの指示に従って成熟すると考えられていました。あたかも部屋の中のある一人だけが適切な折り目を指示して、折り紙の鶴が作られるかのように。 しかし現在わかっているように、大部分の神経系(大脳辺縁系を含む)は、それを健全に成長させるために、きわめて重要な経験にさらされる必要があります。
1981年のノーベル医学賞を受賞したDavid HubelとTorsten Wieselは、片目の子猫が生き延びて成体になるまで成長した場合、その脳の視野に関する部分が注目すべき異常な成長を見せることを報告しました。辺縁系の共鳴力と強制力を統括する神経系についても、同じくそれが当てはまります:
脳の最終構造を決定するプロセスには、適切な(訳注:その状態や欠落に応じた)経験が必要不可欠です。
ほどよく調和した母親の欠如は、爬虫類にとっては通常の出来事ですが、複雜で壊れやすい哺乳類の辺縁系には致命的な傷を残します。
隔離した環境でサルを飼育すると、社会性の完全な剥奪が与える神経系への影響についての直接的なデータを得ることが出来ます。人間の赤ちゃんは、このような強烈な条件下では、ほとんど生き残ることはできません。
社会的絆を結べないという障害の詳細な影響を評価するために、ある研究者グループは、健康なサル達を残念な母親達にする方法を考案しました。
彼らはサルの母と子を、食料がいつも手に入るというわけではない環境に置きました。
あるときは母ザルが食料を容易に手に入れることができ、
また別の場合は、母ザルは自分と子供のために食料を一生懸命さがさなければなりませんでした
このような予測不可能性は、母親の心を食いちらかし、その注意力を徐々に摩耗させます。
そのような母親の落ち着かなさと不安さは、幼い子ザルに対し、感情的な傷つきやすさと神経の化学変化を与えます。そのように育てられたサルは、大きな絶望と不安にかられた応答の様子を見せ、その子の感情を制御している脳内の神経伝達物質が変化したということを示します。
孤立したサルが見せる大きな障害とは異なり、このような状況は、目に見える母親の存在がそれを覆い隠すため、浮かび上がってきたりよく見えなくなったりします。
つまり、母ザルから見ると、その傷ついた子どもは正常に見えます。
しかし母と子を離れ離れにすると、その子の見せかけの安定性は消えます
これらのサルが成熟したあとに示す性質は、大脳辺縁系が永続的な力を持つことの生きた証拠です
彼らは他のサルと絆を確立しようと努力しますが、その際に彼らは以下の様子を見せます
臆病
べったりとくっつき離れようとしない
従属的で卑屈な様子
不器用
これらの動物の脳は、神経化学の永久的な変化が起こったことを示します。
母親がかつて不確実性の下で生きていたというただそれだけのことが、その子が成体になった後でさえも、セロトニンやドーパミンのような神経伝達物質レベルを生涯にわたって変化させます。
このようなサルたちが見せる不安と抑うつに対する脆弱性、社会的な不器用さ、大人として適切な愛着を持つことの失敗は、人間では神経症と呼ばれる症状と似ています。 大脳辺縁系の支配的な力がもつ傾向にも関わらず、全ての哺乳類がつながるために生きるわけでも、生きるためにつながるわけでもありません。
ジャイアントパンダは、ぎこちなく動いて笹をむしゃむしゃ美味しく食べる時間をずっと一人で過ごし、種を保存するための性的行動のときだけ集まります。
類人猿にも、せいぜい「半ば社会的(semisocial)」と呼べる種であるオランウータンがいます。オランウータンのオスたちはお互いに相手を許容することができず、平和な集会を開催することができません。オランウータンの母と子だけは、かなりの期間に渡ってお互いに共存することができます
このような哺乳類について、そのいい加減な絆の放棄をどのように理解したら良いのでしょうか。その答えは、進化の道というのは紆余曲折して進むから、ということにあります。
新しいスキルをもった種が生まれると、その生の必然性により、苦労して獲得した性質を放棄し、過去に過ごした生活様式を復活させることがあります。
こうしてこの世界では、一部の爬虫類が、その魚のような見た目をした祖先が一度は捨て去った海に戻って暮らしていたり、はるか昔に空を飛び回ることを放棄した一部の鳥が、役に立たない翼の痕跡をもっていたりします。
社会的な絆が薄い哺乳類は、このような先祖返りしたグループの中の一群です。
毛で覆われ、母乳にたより、その祖先が家族という群れで集まって生き延びてきたのですが、今となっては古くなった昔の個別的な生き方に戻った、そういう存在です。
愛のブロック
不安、抑うつ、季節的な気分の沈みなどに悩まされる人はしばしば、目撃者が容疑者の中から犯人を指差すように、科学が問題のある神経物質を特定してくれはしないかと思います。
そして、これはノルエピネフリンが多すぎるためか、あるいはドーパミンの不足によるものか、あるいはエストロゲン分泌の異常か、という質問がでてきます
これらに対する答えは不満を引き起こしがちです:
ある容疑者が自身をもって犯人だと名指しされることはありません。
これは、この質問自体が、脳を単純に捉えすぎているために誤っているからです。
巨大で入り組んだシステムを推し量ろうとするとき、その最小の構成物と最大の構成物との間に直接的な因果関係を推定することは危険なことです。例えば、
どの(株価の)銘柄の動きが1929年の恐慌を引き起こしたのか?
第一次世界大戦の火蓋を切ったのは誰か?
ポーの「レイブン」の中で、憂鬱な雰囲気で満たされている言葉は何か?
などです。
神経科学者は、一握りの薬物についてはその速やかな科学的効果を把握しています。
しかしそれらの小さな分子の点と点とをつないで人間の
行動
考え
感覚
特性
を描き出そうとすることは、解き明かすには複雜過ぎる生化学的なイベント、例えば開花のようなもつれた事象を追跡しようとするような絶望的な試みであることを意味します。錯綜した相互関係、例えば歴史や芸術のような脳の密集した深い森は、物質主義者の光る刃によって屈せられることはありません。
「化学物質Aが人間の特性Bを引き起こす」といった記述は、人々が引き寄せられるかもしれませんが、実際には意味がありません。
脳は、
このレバーを押すと喜びが発生し、
この滑車がパニックを引き起こす経路である、
といった単純な機械ではありません。
それにも関わらず、私達は神経化学から重要な知見を引き出すことができます。
神経伝達物質は平等には作られてはおらず、辺縁系由来の機能ー例えば愛ーを方向づけるという程度においては、他のものよりも遥かに重要なものがあります。
現在研究の途上にある3つの物質があります。
悪名高い神経伝達物質
1950年代に登場した抗うつ剤は、医学を変えました。
医学は1950年代に抗うつ薬に出会いました。
そして30年の間、ほとんどの医師はその効果を発揮するのに十分な量でそれらを処方できているかどうかを恐れていました。
その理由は単純でした。初
期の抗うつ薬は、自分自身を殺すために使用できる最も簡単な薬の1つでした。多くの場合、わずかな1週間分の薬は自殺に十分なほど致命的でした。
1988年、Eli Lilly (訳注:製薬会社の一つ)が大量に服用しても人を殺さない抗うつ薬を導入したとき、安心した医師はそれを狂ったように処方し始めました。
数ヶ月以内に、リリーの薬は世界で最も広く処方されている抗うつ薬になりました。悪名高いプロザックは、家庭内でセロトニンを話題にすることを可能にした薬です。 もともとうつ病の治療薬として考えられていたプロザックと他のセロトニン剤は、予期しなかった効果をもつ多機能な分子であることがすぐに判明しました。数千万人の患者がこれらの薬を試したため、偶発的な影響が積み重なりました。不安、敵意、舞台恐怖症、PMS(月経前症候群)、交通渋滞のいらいら、過食症、自信のなさ、早漏、そして落ち着きのない犬が前肢の毛をなめる髪をなめる性質に至るまで(訳注:そのような状態を直さなければならないことの滑稽さを表現)、すべては、いくつかの脳のいくつかの賢明ないじくりによって改善される可能性があります。つまり多くのセロトニン回路をいじることによってです。セロトニン剤のあまり知られていない特性は、損失の痛みを時々緩和することです。すべての人に起こるわけではありませんが、ある特定のグループは、誰かを失うことから生じる心痛を和らげるため、セロトニン剤から利益を得ます。
たとえば、私たちが知っている一人は、彼女が喪失による痛みをやり過ごすことができなかったために起きた、あるひどい関係から逃げることができずにいました。彼女のパートナーがどれほどの不幸を彼女に与えたしても、彼女が彼との関係を終わらせようとするたびに、彼女の内面からはより大きな悲惨な波が湧き出ました。そして、彼女の内側にあるものさしは、彼女を満足させることができない男と一緒にいるということを彼女に選択させつづけました。「私は彼と別れたいんです」と彼女は言った。「私たちの関係はそれでもだらだら続き、何度も『今度こそ、本当に終わりにしよう』と思うのですが、決してそうなることはありません。私達の関係は長い間続いているので、彼から逃れるためだけに全国を移動したい気がします。私はそれをめぐって絶えず自分と戦っています。私は『ただ彼の元を去って、二度と彼に連絡しなければいいのよ』と自分に言い聞かせますが、できません。」治療の年月は彼女の不幸を明らかにしたが、それを減らさなかった。しかし、彼女がセロトニン剤を服用したとき、彼女の悲しみのバランスはわずかに変化しました。悲しみよる損失は少し少なくなります。彼女はそれから彼女ができなかったことをしました:つまり、耐え難い苦痛なしで彼女の恋人を去りました。
ある人間関係から離れる自由は、生まれ持った権利ではなく、遺贈(祖先からの遺産)です。霊長類の愛着に関して急速に進んでいる研究が示すように、人生初期の子育て(にともなう相互行為)は、(訳注:その子が将来直面することになる)孤独による不安定な苦痛を遠ざけ、その子が将来前進することの助けとなり得ます。社会的な動物である私達は、もし私たちが自分の若い子どもの辺縁系のニーズに対応しなければ、何かを失うということに対する過剰な脆さという病気を蔓延させてしまう危険があります。 従ってセロトニン剤は、危機的な状況の瀬戸際にあるぐらつきから回復するための単なる治療薬ではなく、絶壁にたどりついた文化における生活様式の1つになります。
大衆の宗教
ある花を咲かせるケシ科植物(Papaver somniferum)の樹液をジュース状にしたものは、ある驚くべき性質を持っています:
それらは痛みを軽減します。ケシの滲出液をこすって乾燥させると、結果としてアヘンが得られます。これは、同族化合物の混合物であり、モルヒネ、ヘロイン、ラウダナムなどの有名な化合物を含む広範な化学ファミリーです。ケシの抽出物すなわちアヘンは脳自身がもつ鎮痛作用を構成する重要な要素であるため、痛みを取り除きます。身体的苦痛からの迅速な救出は、それを調剤した最初の医師にとっては奇跡的な発見した。トーマス・シデンハムは1680年に次のように述べています。「全能の神が苦しみを和らげるために人に与えることを喜ばせた救済策の中で、アヘンほど普遍的で効果的なものはありません。」
シデンハムが語ったのは、話の半分の側面だけでした。オピエートは、物理的な傷から生じる痛みを消すだけでなく、人間関係の切断から生じる感情的な消耗をも消します。辺縁系脳が他のどの脳部位よりも多くアヘン受容体をもつのは、おそらくこの目的のためです。関係の分離に関する研究は、関係喪失感覚を麻酔させる薬としてのオピエートの活発な有効性を証明しています。
母犬がダムにより流されてしまえば、子犬たちの苦痛は噴出します。もしその子犬たちに少量のアヘン(といっても鎮静剤としては少ない量)を与えると、子犬達はそれ以上の抗議をやめます。
詩人や、それに類する評判の悪い人たちは、何千年もの間この力について知っています。ホメロスの「オデッセイ」の第4冊には、ある夕食パーティーでの会話が、彼らの失った仲間についての話題に変わったときの状況について、医学的に正確な記述が残されています。
悲しみによる痛みが皆に起きました。。。しかし今、ヘレンの心に入り込んだものは、忘れっぽさという穏やかな魔法つまり鎮痛薬というワインの中に沈みこみました。ワインボウルでこの混合物を飲んだ人は、その日は涙を流さないでしょう。たとえその人が、母親と父親の両方を失ったり、息子や兄弟が目の前で切り捨てられたのを見ていたとしても。
悲しみからの回復のプロセスは、生物の歴史という偶然により、痛みの鎮静(fell to the opiates)という段階を踏むようになりました。
身体的な損傷は死の危険をもたらします。これは、体にうけた傷を感知する神経系の進化的発達を促進した、紛れもない事実です。
この「痛み」という脳の機能は営業を終了(訳注:アヘンの発見によって)しました
この痛みは、動物が危害を受けることから逃れるための強力なインセンティブです。
しかし、身体の内部では終わりのないリズムが刻まれており、その反対の作用をもつ別のリズムとともに、生理学的な機能は引き続き存在します。
そのため、脳には、痛みを引き起こす神経伝達物質だけでなく、鎮静作用のある神経伝達物質も含まれています。辺縁系の脳が生まれ、哺乳類が生存のために相互の鎖に依存するようになるまでには、身体的外傷の精神的後遺症を管理するための洗練されたメカニズムがすでに整っていました。その後、進化はそのシステムの一部を採用し、喪失の感情的な痛みを処理しました。
デカルトの時代を経た私達の大脳新皮質は、心と体の区別について雄弁に語ることができるかもしれませんが、他の脳領域はそのような区別をしません。
腕についての損傷も、神経生理的な損傷も同様に現実のものであり、哺乳類にとっては後者の方がより大きな痛みを感じるかもしれません。痛覚中枢にとって最も重要なのは、わずかな人にしか関係のない哲学の領域ではなく、その痛みが私達に与える危険性はどのようなものか、ということです。哺乳類の開ループ生理学と辺縁系規制への依存を考えると、愛着状態を止めてしまうことは危険です。そのような断絶状態は、嫌悪するべきです。
そして、実際のところ:
故障した膝や傷ついた角膜のように、関係の断裂は苦痛をもたらします。ほとんどの人は、愛する人を失うことほどの苦痛はないと言います。
差し迫った危険にある場合、脳内の喪失感覚と鎮静作用とははんだ付けすることができます。
精神科医は以下のような小さな痛みを自分に対して起こしてしまう人をよく見ます:
腕をカミソリで切った人
太ももにタバコの火を押し付けた人
これらの人々は長年に渡って多音節なラベルを多数獲得している(訳注:原因と結果が単純な関係ではないこと、という意味か)
彼らの自己破壊的な行動は、さまざまな複雑な動機に起因している。
注意を引きたいという欲求
操作しようとする試み
彼らのほとんどには1つの共通点があります。
それは、別離という痛みに対して、激しく生涯にわたる感受性を持つ、ということです
(別離、喪失という悲しみを象徴した)ミニチュア模型としての非難、小競り合い、その他の一時的な衝突が、彼らに落胆と悲しみの耐えられない混合生成物を引き起こすことがあります
引き続いて各種の自傷行為、つまり刺し傷、火傷、皮膚の切開などが起こります。いじめられた表皮の下で、震えた痛覚神経が脳にドラムビートの信号を送り、損傷が発生したということを伝達します。これらのメッセージは痛みの釣り合いおもり(ありがたい静作用の落ち着き、そしてそれゆえの悲しみ)を開放します。 慢性の自傷行為者は、比較的小さい痛みを引き起こすことにより神経系をだまし、耐えられない痛みを麻痺させようとします。
それよりも強烈でない方法はたくさんあります:
暖かい人間の接触はまた、内部の鎮静物質を生成します。
私たちの恋人、配偶者、子供、両親、友人は私たちが日常的に接する鎮痛剤であり、哺乳類にとっての孤独の痛みを忘れるという魔法を提供します。これは非常に強力なな魔法です
プレーリードッグの生活
愛着行動を左右する第三の神経伝達物質は、出産時の生理状態を調整(子宮収縮と母乳が出ることとを促す)するものです。しかし最近まで、その驚くべき感情的な力を推定する人はいませんでした。
オキシトシンがもたらす情熱的な特性は、科学的名声とは程遠そうな外見をしたプレーリードッグの脳内で解明されました。エモリー大学の精神神経研究者および行動神経科学センターの所長であるトーマス・インセルは、2種類のプレーリードッグ(ハタネズミとも呼ばれます)を研究しました。
プレーリードッグ(Microtus ochrogaster)の特徴:
大人は一夫一婦制であり、
両親は両方とも子供を育て、
夫と妻はほとんどの時間を隣り合わせで過ごします。
ただし山に住む山地のハタネズミ(Microtus montanus)はそれほど社会的ではありません。
これらのげっ歯類間の交尾パターンは、気軽に何度も無差別に行なわれる傾向があります
山地のハタネズミの親は平地の同類(プレーリードッグ)ほど、子供の世話をしません。山地のハタネズミの父親は子供を頻繁に無視し、山地の母ネズミは子供を産み落とした後2週間ほど放って置くことがよくあります。
インセルは2つの種の脳を比較し、ただ1つの神経伝達物質系であるオキシトシンの活性が異なることに気付きました。
愛情豊富なプレーリードッグの辺縁系脳にはオキシトシン受容体が多く含まれますが、山地ハタネズミのそれははるかに少ないです。
山地のハタネズミのオキシトシン活性は、子どもたちの出産時のみ増加しました。山地のハタネズミの子育てが終わるとオキシトシン活性は再び落下し、絆も同様になくなります。その時から、山地のハタネズミの母と子は、別々に生活し始めます。
プレーリードッグの愛の生活は、オキシトシンが仲間との関係という絆を築く能力に関係していることを示唆します。
人の母親でも出産前後にオキシトシンが急増するのですが、それは子供への献身と乳やりを促すため、とこれまで考えられていました。しかし科学はそのホルモンに新しい光を発見しました。
専門家は、分娩後の数時間で母親と乳児が感情的な絆を結ぶかどうか、そしてこの2人を出産時に引き離すという西洋の病院における慣習について、何十年も議論してきました。出生前後の高いオキシトシンレベルは、そこに重要な絆を結ぶイベントがあるということを示しています。専門家たちは、その神経化学物質が産後に活性化されるということは、母親と子供が産後にいっしょに過ごす必要があるということを意味していると主張しています。
オキシトシンも思春期に噴出し、10代の若者が最初に花を咲かせます。単純な分子が、人を夢中にさせるあの甘い思春期を開始することは奇妙に思えるかもしれませんが、脳で起こることはすべて、神経化学物質から始まります
それは、子犬たちの愛の不思議もそうですし、プレーリードッグが持つ複雜な仕組み(それは確かに私達自身も持ちます)も、同様です。
絆の広がり
人間は、他の哺乳類の辺縁系が表す兆候を解読できますし、逆も同様です。感情的なコミュニケーションには種特有のものがあります。
猫がアーモンド状の目をまばたきさせて目をそらしたときに表す信号は、近くにいる他のネコにとっては非常に豊かであるように見えますが、それは人間の理解の及ばないもので、猫たちは猫たちの世界の中で安全に眠ることができます。
このように哺乳類にはさまざまな感情表現がありますが、とはいえ哺乳類は共通の神経基盤を利用しています。共有され継承されきたこの辺縁系の働きは、しばしば当たり前のことと見なされます。つまり、異なる種が互いに愛着をもつことができる、ということです。
ここマリン郡(カリフォルニア州西部の郡)では、そのたくさんの実例をいつもの日曜日に見ることができます。
日曜日の食料品店では、店の入口で飼い主が買い物し終わるのを待っている1、2匹のゴールデンレトリバーをよく見ます。待っている間のほとんどは、犬は立ち上がって、ガラスのドアを覗き込んで、彼にとってなんらかの意味をもっている人を一目見ようとします。
時々、誰かが出入りし、犬の頭をなでます。犬は、少し焦りながらもこの愛情を受け入れます。
しかし、飼い主がドアから出てくると、犬たちは紛れもない熱意で震え、跳躍します。
飼い主との別れ、警戒と周りの状況の探索、飼い主以外の人への無関心、再会、および喜びは、地元のスーパーマーケットの前でわずか10分間のうちに起こったことであると同時に、数千万年もの進化の時間を経て別れ離れになった2つの種の間で起こったことの全てです。
なぜかはわかりませんが、人間と犬とが、お互いに相手を正しいパートナーとみなすことができる程度には、愛着感情の構造は一般的なものになっています。一人と一匹は辺縁系の命令に従うことができます: 彼らはお互いの近くで時間を過ごし、お互いを恋しく思います
彼らはお互いの感情的な手がかりのいくつかをつかみます。
それぞれがお互いに、相手がリラックスしているときと快適であるときを見極めるでしょう。
それぞれがお互いの生理状態をチューニングし、調整します。
辺縁系の調節は生命の維持機能です。これは、ペットが人々の気分を良くするだけでなく、ペット自身が長生きできる理由です。いくつかの研究は、犬を飼っている心臓病患者の死亡率が、犬と交流を持たない人のそれとくらべると、4分の1から6分の1の割合でことを示しています。
今から25年以上前、ルイス・トーマスは次のように書いています。
「確かに私たちは、すべての社会的動物の中で最も社会的であり、相互依存性が高く、互いに愛着があり、バラバラの振る舞い方をすることはミツバチよりもできない存在ですが、未だに私達は、私達の知性が結合されたものだと感じることが出来ない状態にあります」
今日の科学は、私達の相互依存が何のためであるかを明らかにし、私達の別れがたさがもたらす果実を知ることを可能とし、私たちの社会的結合の本質を見抜くことを可能にしている。
私達は、生まれる前から始まり生をその最後の日まで支えるというプロセスの中で、脳を順調な状態に保つということに「執着(=attached, 愛着)」しています。そのデュエットの最も最初の部分は、私達の注意を引くものであるに違いありません: 辺縁系のコントロールにより、知識のパターンは心の発達する回路に刻まれ、そのプロセスを通じて愛着心・執着心は若い哺乳類を永遠に変えます。
愛着心が人をどのように形作るかを理解するために、記憶 ーつまり脳が経験により構造的な変化を起こすというプロセスー を理解する必要があります。記憶は直線を進むようなものではありませんし、人の心もまたそうではありません。