たぬきはどういう存在か
#たぬき
これが一番わからない
ぶっちゃけ狐もよくわからない
考える上でヒントになりそうなこと
設楽焼きの狸
1回目は歓迎してない、最後は歓迎している
この感情の変化が起きたのは誰か?
C
読者
くえん=きつね側の人間の居所の道中に置かれている
表紙のギミック
作者=太ったおばさん=たぬき
作者=C=たぬき
この作品はCが語っているという体だから
この物語(出会って4光年で合体)を語っているのは誰か
ただし、この表紙ギミック自体、らくゑんの餅を意識したお遊び要素の可能性がある
作中でたぬきと呼ばれた人物、自称した人物
長宗我部光蔵
らくゑんの餅の作者でもある
土神あぐり
で、なんなのか
大きくわけて2つある
狐と同列の存在
というかそんなに違いのない存在
メタ視点的なものを重視した立場
狐とは相反する存在
光蔵や土神の存在を重視した立場
設楽焼きの表情の変化が、光蔵や土神のような立場にとって存在自然なのか考えると良いかも?
言い換えると光蔵や土神はくえんをどう思っているか
ただ、光蔵と土神自体仲がいいわけではない
p146
あれと話をするな。
土神とくえん(あるいはC?)
p209まで土神はくえんがどういう存在か知らなかった
一般的な伝承のみ
くえん自体と言うよりは催眠にあるように見える
自身の人生がコントロールされることと言ってもいい
カセドラルには興味ありそうだけどくえんにはなさそう?
そもそもこの2つを異なるものとして扱ってるかわからんが
どっちもきつね
光蔵とくえん
よくわからない
淡々と理外の存在に対処してるように見える
光蔵と土神を深掘りしようとすると狐とはなにか?もわからなくなる
葛の葉はくえんなのか問題
くえんではないという結論、では何故きつねモチーフなのか