はじめにロゴスありきではない
はじめに言葉があった
本当にこの意味で使われているかは知らないあんも.icon
これを否定する文脈で使われることが多いと思う
実際は、脳に実装されている思考の演算と、言葉の演算(文法)との距離が近いだけだと思うあんも.icon 言葉で考えているわけではないあんも.icon*2
思考に言葉を使うと便利、(な人が多い)というだけ
風景を思い浮かべるときに言葉はなくてもいい
言葉から風景を思い浮かべることもできる
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。
向側の座席から娘が立って来て、島村の前のガラス窓を落した。雪の冷気が流れこんだ。娘は窓いっぱいに乗り出して、遠くへ叫ぶように、
「駅長さあん、駅長さあん。」
明りをさげてゆっくり雪を踏んで来た男は、襟巻で鼻の上まで包み、耳に帽子の毛皮を垂れていた。
もうそんな寒さかと島村は外を眺めると、鉄道の官舎らしいバラックが山裾に寒々と散らばっているだけで、雪の色はそこまで行かぬうちに闇に呑まれていた。
言葉として概念を保存して、簡単に呼び出せるようにしているだけ
抽象性を高めて、再利用しやすくしている
思考過程を概念として保持・保存している
こう捉えると、言語とP2Pはちょっと似てるあんも.icon 中心が存在しない
ローカル言語が存在しうる
非英語ネイティブが無理やり英語で議論すると小学生程度の思考能力に落ちるのと同じ これは実感したあんも.icon*2
言葉を知らないことで、思考がキャップされてしまう
知っている言葉のみで思考を回そうとしてしまう
小学生程度の思考になってしまう
逆に、言葉を知っていると便利な表現ができるときもある
文化圏がもつ概念を簡単に説明できるようになっている 説明できなければ、つくられる
プログラミング言語の選択理由と似た考え方ができそうあんも.icon
言葉がなくても思考はできる
ただ、難しいだけ
慣れていないだけ?あんも.icon
思考の結果は言葉以外でも出力できる
単純な音で表現する
単純か?あんも.icon
聖書由来のフレーズだが、本来の意味とは別の意味で使っていることに注意する Εν αρχηι ην ο Λόγος
En arkhēi ēn ho logos
アルケーはロゴスなり
本来は、主と世界との関係を表現するための言葉
翻訳による連想ゲームで意味が広がってしまったのかもしれないあんも.icon