3.3 ルールの現実化の仕方
前提:ルールの現実化
細かい議論は『ビデオゲームの美学』7章を参照。
ポイント:
ルール(ゲームメカニクス)の現実化とは、ルールがプレイヤーの行為を形づくるものとして実際に機能するようになること(たとえば、行為の制約や動機づけとして実際に働くこと)。ルールブックはルールの内容を示すだけで、ルールを現実化しているわけではない。
現実化の仕方の違い
現実化の仕方は、ボードゲーム、スポーツ、ビデオゲームでそれぞれ異なる傾向にある。
ボードゲームにおける現実化:
基本的に、プレイヤー間で共有される規範によってルールが現実化される。
将棋では、物理的な意味では駒をどこにでも動かせるはずだが、「角はななめにしか動かせない」という制約が実際に機能している。
この制約を作り出しているのは、プレイヤーが受け入れている〈将棋のルールを守るべし〉という規範。
スポーツにおける現実化:
スポーツは、すでにある物理的な環境(物理法則含む)をルールの一部として利用するので、その部分は規範によらずに自動的に現実化されていると言える(どの環境を選ぶかなどの点で自動的でない部分もあるが)。
とはいえ、スポーツのルールには、規範によって現実化されるものも少なからずある(e.g. 手を使ってはいけない、これこれの条件を満たすと得点になる、etc.)。
つまり、規範+自動化によるルールの現実化になっている。
ビデオゲームにおける現実化:
ほぼ全面的に、コンピュータハードウェア(およびそれに命令を出すプログラム)によってルールが現実化される。つまり、ほぼ全面的に現実化が自動化されている。
もちろん、ビデオゲーム競技の大会などの場合に、諸々のルールが追加される場合はあるだろう。たとえば、物理的には可能だが、大会上の取り決めによって禁止される行為がある場合など。
そうした部分については、ビデオゲーム競技でも規範による現実化になるが、ボードゲームはもちろんスポーツと比べてもはるかにその割合は小さいと思われる。
現実化の仕方がルール運用のあり方に影響する
規範による現実化がある場合は、フェアネスのために、規範に対するプレイヤーの違反・逸脱がないかをつねに客観的にチェックするポジション(審判)が求められる。
また、スポーツでビデオ判定が必要なのは、実際に何が起きていたか(そしてそれがルールに則してどのように判断されるべきか)が、人間の知覚能力では判別しきれないケースがあるからである。
ビデオゲームのように機械によってルールの現実化が全面的に自動化されていると、こうした必要性はおそらくほとんど出てこない。
例外:
ビデオゲームのプレイヤーのふるまいについて「チート」という概念が持ち出される場面では、明らかに規範によるルールの現実化が機能していると考えられる(言い換えれば、チートはその規範に対する違反として理解できる)。
そうした場面では、スポーツやボードゲームと同じように、ルール運用上のチェック機構が要請されることがあるだろう。