20190510 音楽聞きがやっぱり盤に戻るってはなし
applemusicの会員に一応なってみて、ちょっと課金はしていたのですが、それを今月でやめました。利用度数が明らかに低い、という単純な理由です。
プレイリストがジャンルごとに分けられていて、それを追っていくのも楽しかったものです。特に自分の全く知らないジャンル。例えば「ハリージ・ポップ」という、サウジアラビアとかの湾岸地域の現代アラブポップスをつらつらと追っていったり。なにしろアラビア語、アラビア文字も全く読めないわけですから、音楽情報・文脈も何も知らない。わかるのは「この10年くらいのアラブ圏ヒットソング」くらい。でも、百聞は一聴にしかず、でありますから、実際に聴いてやはり「成歩堂」と思うところはありました。弦が……ストリングスのアラビック美メロアレンジがクサすぎる……。
ちなみに、このあたりでやはり「最低限の文字が読めない」というのは相当なディスアドヴァンテージだな、と改めて。英語(アルファベット)表記がしてあるのを聴けばいいじゃないか?という基準アドヴァイスですが、それもそれで問題点があり、例えばNumber Girlは聞けても、人間椅子は聞けないわけです。Hosono Houseはきけても、いつになったら、はっぴぃえんどの「風街ろまん」にたどり着くのか。いや、今の日本人ですら「ゆでめん」の意味がわかるのかーーー まあそんなわけで、現地語のいろはにほへと、と「てにをは」くらいはさらっておいても損はないわけです。そもそも外国語は趣味なわけですか
さらにそれは海外盤ネット通販にも確実に役に立つ
話をサブスクリプション音楽配信に戻しますが、そんな便利な音楽配信を、やっぱりやめた、っていうのは……まあ、あほの所業であることは間違いはないのですが、なんだかんだで自分は「音楽は盤単位で聞くものだ」という強固な観念があるんだな、っていう。シングル、EP、アルバム。そういう形式を、古い思い込みだとは思いつつも、やはり愛している。アルバムセットリストは愛のセンスだよ、兄貴。ユニゾンスクエアガーデンの田淵も似たようなことを言っている。
その一方で、自分はラジオでの音楽紹介、っていうのにも恋々としている。むしろ、しすぎているが故に、「ディスクジョッキーによる音源解説」がないと、非常に物足りない。このあたりやはり「文脈」で音楽を聴く話
それから、今「文脈」って話が出たけど、やはり自分はいちいち音楽文脈(歴史という縦軸)(地域やシーンの相互影響という横軸)で聞く、という「めんどくさい手間」を愛しているのだなぁ、と思う。いちいち音楽記事、レビューを参照して、自分のなかに架空の音を構築してから、ちょっと聞いてみる、っていうめんどくささ。
それは、非常に「旅(音楽で世界旅行)」のニュアンスがある
というわけで、やっぱり音楽を盤で聞く。曲単位で聞くのはせいぜいラジオのエアチェック、という。
ところで、最近youtubeの広告がさらに増えましたね。なんだかんだで試聴用としてはyoutubeが優れていて、またライヴを聴く(見る)のもyoutubeが優れていて。どうしようかなぁ、youtubeプレミアムに課金しようかなぁ。
それでもまだヒカキンも見たことがないし、vの者も見ていない。理由はとくになくて「なんとなく」としか言えない
ただ、「動画視聴に拘束される」のに対する忌避感は、確かにある。
音楽も、じっと聴いていられない。最低でもヘドバンするし、一番心地よい音楽の聞き方(効き方)は散歩しながらだ。自分は
以上の話を、ギターウルフを爆音で聞いていると、「だからどうしたッ!!!??」という気分になってくるなぁ。