レオ・ウィーナー
ノーバート・ウィーナーの父
略歴
1862年ロシアビアトリス生まれでユダヤ人学校の教師の子として生まれる
10歳のときにイディッシュ語、ドイツ語、ロシア語、フランス語を習得した語学の天才
ベジタリアンで禁酒家
19歳のとき「菜食・人道主義的社会主義」による共同体コミュニティ建設のためアメリカへ渡る
挫折しカンザスシティで語学教師となる
1893年にベルザ・カーンと結婚
ユダヤ人社会を批判しノーバート・ウィーナーは批判的感情を母に対して持つこととなる
ボストンへ移住し、1896年にハーバード大学の文学講師となる
最終的は教授になる
1902年にユダヤ文学に関する研究をやめる
アメリカという人種のるつぼのなかでユダヤ人は同化すべきという考えを持つに至る
イディッシュ文学やロシア文学の英語への翻訳を行う
トルストイの文学についてはノーバート・ウィーナーの人道主義にも影響を与えたと考えられる
教育
息子(ノーバート)と娘に対して天才教育を施す
当時の小児学会誌に教育について寄稿している
曰く「自分の子供達は天才ではなく違った教育を施しただけ」
子どもたちが自分の知力を使い自身で考えるように仕向ける
子供はできるだけ親の知的水準に近づくようにする
親は常に子どもの言動行動を注意深く観察する必要がある
常に正しい言葉を使い対話する
その場にあった話題を選び筋道立てて論理的に議論する
「親の言うことはすべて理解できる」と親側が子供に感じさせる
子どもの適性を注意深く観察する
子供が自然に興味を持ったものを利用し学習へと誘導する
当人の感想
教育を受けた当人(ノーバート)曰く
父の教育方法の再現性はあるだろうとのこと
曰く「私が父からもらったものは、父が持ち合わせてたものだけ」
誠実さ、才気、学識、情熱、これらは街に落ちているというものではない
ただしその関係を「ガラテアとピュグマリオン」に例えており複雑な感情を抱いていたようだ。
自身が父に作り出されたという感情を持っていると推測される
後年ユダヤのゴーレム伝説に惹かれたりしている
父親が求めた像を実現することがノーバートの行動原理となっている
人道的振る舞いや誠実で高い理想像
名声や富は理想的学者像から逸脱してしまうものとして忌避する
実際のところ
ノーバートが勉強を間違うと激怒していた
エスカレートすると皮肉・冷やかしで泣かせていた(虐待的な感情コントロール)
母が止めに入り夫婦喧嘩をするが常に母が負けていた
夫婦喧嘩がうるさく近所から苦情が入るほど
ノーバート曰く「家庭に平和があってこそ子どもの安全がある」
レオ・ウィーナー - Wikipedia
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