ルネ・デカルト
オランダに住む
演繹法 → 理性による事実の積み重ねで結論に到達する デカルトはヨーロッパ各国をめぐり、人が言うことがマチマチと感じる → 人の感覚は信用できない
信用できないが故に、儀礼的になんでも疑ってかかる
世界で疑いようのないものを見つけるために疑う
我思う故に我あり
「考えている自分」だけは確実に存在している
方法的懐疑の中で唯一存在が確信できるもの → 今まさに思考している自分のこと
ラテン語で コギト・エルゴ・スム
コギト → 我思う
エルゴ → ゆえに
スム → 我あり
ギリシア哲学からの転換
世界の存在は前提条件
デカルトの哲学 → 方法的懐疑
まず人間が世界を正しく認識できているか?
世界の存在そのものが疑わしい…
世界の存在が前提となっていない!
主観と客観
客観 → 世界
主観 → 世界を観測する自分
デカルトの哲学は主観の機能を疑った → 主観にスポットをあてた
デカルトの主観と客観の一致アプローチ → 神の存在証明
主観と客観が一致するかという課題に対するデカルトの取り組み
神の存在証明
1. 方法的懐疑より人間は不完全な存在
2. 人間は完全な存在として神を思考する
3. 不完全な人間が、完全な神のことを思考できるはずがない
4. 故に神はどこかに存在する
5. 人間は完全に神によって作られたので、世界を正しく認識できる
正直無理筋…
デカルトは、資本主義と物質文明の加速による人々の精神的堕落を危惧していた
合理的な説明で神の存在を証明し、信仰心を取り戻そうとしたのでは?
デカルトの主観と客観の二元論
物質と精神とも言い換えれる → 物心二元論
主観と客観が一致するか、はたまたどのような関係なのか?
デカルト以降の大きなテーマ
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