核P-MODEL
今後の作品のテーマについて
オマエタチがまだ螺旋のころだ。
分かると思う。
次のソロは回=回以降のテーマとなる。
絶対に後戻りしないので、再び意味不明の街道に押し出された気分になるかもしれない。
40年後に「そうか、分かった!」
と膝を叩いてくれればいい。
(これからは40年もかからないと思うけど)
新譜のコンセプト
「明暗」として感じる質感は総じて暗くない。むしろ明るい。
それは「BEACON」「植物電子の本」を経た位置にあり、既に分岐点を超えたサバイバーの内部に残る不要な刻印の消去という「ZCON」の世界に通じるところがあり、核Pが次第にソロに接近してゆく過程でもある。
要約すると:「一足お先に」的なアルバムであり、その意味でステルス品質は維持されている。
「一足お先に」の「一足」があまりに遠い一足と感じるかも知れず、荒唐無稽と感じるかも知れず、他方では完全に腑に落ちるかもしれず。
しかし、何時ものようにこれは予言ではなく「見ていれば分かる事」の上に踏み出した一足です。
お先に失礼。
この度の核Pはこれまでのように外部の対象に焦点を当てるのではなく、内部の不都合や黄金に焦点を当てるため、ソロ活動に接近する過程にある。
ギリギリのところで「質感」の違いは保たれているが、よりハッキリと違いを持たせる努力をしている。
接近しつつ「違う」はなかなか難しい。
極力音数を減らすアレンジをしているのはそのためで、素材(主に電子音)の味を生かす調理法の一つだ。
ソロの音作りには「スタイルにこだわらない」という自由さがあるが、
一方核Pには規制を設けておく必要がある。
ソロで培った自由がどんな場合でも暴れ出す。
既にこの度の核P制作でもそれは奔放に走り回っている。
私はファミレスで走り回る子供を放置する親には欠落している制御回路を持っているので、走り回る「ソロ的自由」を叱りつけて核Pの席に戻す能力さえ持っている。
しかし、作業しているのが同一人物であるため、つい羽目を外してしまうこともある。
曲の構造にソロの自由が憑依すると面白い結果になるが、ひっきょうそれはソロ的音色を要求し始めるという罠がある。
の度の見直しは主にその罠を外すためのものだ。
しかし、それは罠ごと捨てがたい姿をしているので大鉈を振るう決意が必要となる。
振るう。
振るいまくるので誤ってオマエタチの頭上に鉈が振り下ろされても新譜のためだと諦めてもらう