創作一般に関するアドバイス by 平沢進
タバコ
タバコはその身体機能的な効果を超えてある種ムードや心をどこか別のところにアクセスしたりあるいは遮断したりという演出装置を兼ねており、創作者には利益のある嗜好品だ。
土日は仕事しない(専業の場合)
もうだいぶ前から土日は仕事しないと決めていたため、今日は仮歌を録り、様々なチェックをしました。
自分で決めたことを守っているようでは良い作家にはなれません(当社比)。
創作時の外的制限
Q: お仕事に外的な制限(期限など)があるほうが創作はしやすいですか? 何の制限もない状態で創作をするとしたら、完成する作品は全く違うものになるのでしょうか。
A:期限的制約については良し悪しです。機材的制限がある場合「完成」に到達する時間が早いです。
機材的制約が無い場合「成立」の状態で足止めを食らい、最悪「成立」を「完成」と見誤り、品質を落とすことがあります。
手段と目的の逆転について
Q:元々目的を達成する為のものであったろう方法そのものが目的になってしまっている現象が昔から気になってしまいます。何故目的を忘れてしまうのでしょうか?
A:目的は「動機」から生まれます。人科は時間をかけて動機へとつながる内発的な衝動を制限され、またそれが生じる機会を
眼高手低との向き合い方
Q:色々な作品を見て目が肥えてしまい理想だけが高くなってしまった結果、技術が追いつかず自分の作品になかなか納得がいきません。
A:貴方が見たのは他人の作品です。憧れに執着せず、好きな事とやるべきことの違いを見極めたら持ち得る技術のみで挑みましょう。それが貴方の個体差を生み出します。
名曲に努力は必須ではない
新譜制作:1曲目をボツにする。
集中力に欠けるスタートから出来たものを後に集中力をスルドク駆使してこねくり回してもロクなものにならない。
これ嘘。
ナメた態度で始めた曲が意外と良かったりする。
集中力が高かろうが低かろうが努力が肝心。
これ嘘。
努力で名曲はできない。
上は刺激の強い言い方。
名曲に努力は必須ではない。
これ平坦な言い方。
やっと本当のこと言う。
とか言いながら
ボツにした曲のその後を追って音楽の墓場を覗いて見る。
少なすぎる墓標。
死んだ音楽は何処へ行った?
何処だか言えば敵に囲まれる。
2曲目に着手する。
集中力も努力も関係ないとすれば何が音を曲げる(PEVO的表現)のですか?
ふとした拍子に開く潜水艦のエアーロックのような人間の器官。
これ嘘。
作業工程のどこが一番楽しいか?
Q:平沢さんが新しい物事を作るとき、作る前、作っている最中、作った後のどの段階が一番心躍りますか?
A:作っている最中。完成すると一時忘れてしまいます。
アドバイスは命令ではない
Q:尊敬している方のアドバイスを参考にした結果、自分が最初作りたかったものとは程遠い物になってしまいました。
A:アドバイスは命令ではありません。結果は貴方が招いたものであり、招いた結果の責任は貴方にあります。そう認識した時アドバイスは機能しはじめます。
サポート方法
Q:息子が映像を撮りたいと言い始めました。応援していますが、親としてこれで良いのか悩みます。 創作には親や周囲の反対というストレスが必要と思われますか?
A:悩む理由が分かりません。ストレスが必要なら創作自身から得るでしょう。つべこべ言わずサポートしてあげてくださいl
プレイヤーとディレクターの両立は可能か?
Q:プレイヤーとディレクターの両立は可能でしょうか?プレイヤーでありたい自分と、もっと先へ進みたい自分、引き裂かれそうです。
A:プレイヤーとディレクターとプロデューサーが同時に可能な例をお見せしております。
抽象度が一番高い立場を優先してみましょう。つまりプレイヤーは一番後。
「産みの苦しみ」はそもそも前提が間違っている
創作時に「苦しみ」が伴うのは、作品へ向かう前提や動機が間違っているからだ(当社比)。
「努力は報われる」という呪詛が「苦しみ」に紐づけされる時、迷宮の扉が開く。
迷宮大好き(当社比)な若沢は嬉々として飛び込み、ヘンなものを掴んで出て来る結果になる。
ヘンなものとは「成立」である。
毎度申し上げますようにそれは「完成」とは違う。
「成立」は音楽等の作品がハードウエア的に立派に組み上がった状態で、そのまま製品にしてもクレームは来ないような体裁を獲得したもののこと。
しかし、「成立」には独創性が無く誰が作ったか見分けがつかない程退屈な要素の塊だ。
若沢は己から出た「成立」に愕然とするが、もはや太々しく己の機能を信じて疑わない沢ならこ言う。
そんな努力はAIに任せて、水元公園に散歩に行こう!
作曲に際して「苦しみ」が伴うのは、その創作行為に向かう動機や作品の前提に間違いがある場合がある(当社比)。
にも拘わらず「努力」で「工程」を完了させようとすると更なる抵抗に会い益々苦痛が増して行く。
若沢よP-MODELなんかやめて舎人公園に遊びに行け。
適切な初期設定の元に行われる創作に苦痛は無く、驚きと楽しさが持続される。例え困難が生じてもそれは楽しさのカプセルの中だ。
困難は苦い。カプセルの中もだいたい苦い。だが、カプセルは喉元過ぎてもカプセルの味。
存在する必要のない「痛み」を作り出し、「苦しみ」と「努力」を紐付けした者の悪だくみが成功した惑星に一度行って見るといい(どうやって?)。
世界は「成立」で溢れた空洞世界だ。
住民は生きたまま(成立状態)死んでいる(本分の停止状態)。
それをいけしゃあしゃあと、「美徳」とさえ言う大詐欺師の惑星では、生涯生きたまま死んでいても「ヒト科の一生に相応」とされ、本分殺人は成功する。
私はさしずめ殺された本分が幾つか欠けたまま立って歩くゾンビだ。
以下おまけ
厄介なことにハタと本分に気付きその香しき道へと踏み出せば、そこに最大の苦痛と努力が待ち受けている。
異常な世界を維持するための文脈から一歩でも出ようとすれば恐怖や不安や孤立や自己嫌悪で施錠した重くて暗い扉に出くわす。友人や恋人や家族は人質に取られ。
あ、話も重くなって来たぞ、おい
その惑星では、貴方を保護し、導き、幸福にする役割にあるとされている人々を前にして「私は本分を生きるために行きます」と言えば彼らはより良い世界のためのドグマに従い、こう言う。
「そんなことより勉強しなさい」
こうして、最大の世界貢献を成就するために、唯一履修すべき「本分を全うする」という科目を阻止した彼らは、今日もより良い世界への正しい奉仕をした満足感で眠る。
起きろ外道。生きるなら今のうちだ。
「創作は目標を糧に生まれるのではなく、抗いがたい経過から生まれる結果論」と書かれたマグカップでさんぴん茶を飲む
帰りの車内では、いつ東京の自然発生的な文化は死滅し、作られた文化をただ消費するだけの場所になったかの回想に花が咲く。
そして、創作物の批評には説得力のある論をぶちまける人たちが調子に乗って自ら創作しはじめると、当人が10点すら付けないような代物になってしまう不可思議について話された。
理屈で創作ができるなら天才は無価値だ。というゴム印を作りたい。
さようなら東京アンダーグラウンド。
創作は目標を糧に生まれるのではなく、抗いがたい経過から生まれる結果論なのだ。と書かれたマグカップでさんぴん茶を飲もう!