Oriental Funk
#sys:音楽ジャンル
ネットカルチャー発の「オリエンタルファンク」というジャンルについてまとめておこう|柴 那典
https://open.spotify.com/playlist/3OVsSD9m2nZ2gTFmhPBJMq
1. 「オリエンタルファンク」の定義と共通の特徴
ファンクやディスコ由来のグルーヴと、和のメロディや世界観、民謡的な節回しを併せ持つ楽曲群
音楽的・構造的な共通点として、以下の3つの要素が挙げられている
強烈な存在感を放つベースライン
饒舌で記名性の高いベース
誰が弾いているか分かるような
スラップ奏法を駆使したり
ハイフレットへ駆け上がったりする
リズムの構造
四つ打ちのディスコビート
あるいは横ノリのファンキーなグルーヴ
メロディと世界観
どこか「和」を感じさせる旋律
民謡に通じるこぶしの効いた節回し
あるいはダークで艶のある歌詞の世界観
2. ジャンルの変遷と主要なアーティスト・楽曲
【源流】米津玄師:「Flamingo」(2018年)
すべての起点
横ノリのグルーヴ
ファンキーなカッティングギターやホーンセクションといった
民謡的なこぶしを融合させた
本人の言う「根源的な民謡へのアプローチ」
彼の重要な切り札的スタイル
後の「死神」も含め
【フィジカルの提示】ずっと真夜中でいいのに。:「お勉強しといてよ」「残機」
ファンキーなバンドサウンド
非常に肉体的で饒舌なベースラインを軸にした
東京事変などの系譜を引く
実験的でありながらアップリフティングな熱量を持つ
【ダークグルーヴの核】キタニタツヤ:「Stoned Child」(2019年)
ダークなモチーフと艶のあるメロディ
ベーシストとしてのアイデンティティを持つ彼ならでは
そして横ノリのグルーヴの融合
【和のバイラル化】和ぬか:「寄り酔い」「真っ裸」
2020年代初頭、顔を明かさない匿名性とともに、「和」の風合いを前面に押し出したバイラルヒットの潮流
【ネットカルチャーの昇華】なとり:「Overdose」
米津玄師やキタニタツヤからの影響を公言
ファンクやダークグルーヴの要素を受け継ぎつつ
TikTokやボカロといったネットカルチャー特有の「四つ打ちのエレクトロ」として見事にポップスへ昇華させた
ダンス/クラブ文脈ではなく
Adoへの提供曲「MIRROR」も同系統
3. 最新のパラドックス(2026年の現在地)
影ぼう:「開拓者」(2026年)
記事で最も興味深い指摘
この曲は紛れもなくオリエンタルファンクの構造を持っている
本来、ファンクという音楽ジャンルは演奏者の「身体性(肉体的なノリや技量)」が極めて重要なはずだ。
が、作詞・作曲以外の大部分(編曲・歌唱・MVアニメーション)が音楽生成AI(Suno等)によって構築されている
しかし、この楽曲の登場によって「身体性がどんどん後景に退いていく(肉体から離れていく)」
真逆の、そして極めて現代的なパラドックス(新時代)に突入していると結ばれているよ
既存の「ファンク」という文脈と「和・ネットカルチャー」というドメスティックな要素をリミックスすることで、これほど巨大なJ-POPのメインストリームが形成されていた、というのは非常に面白い分析だね。
他にもAKASAKIの「Bunny Girl」や友成空の「鬼ノ宴」などもこの系譜として挙げられている
この「グルーヴ×和テイスト」の構造は、聴覚的な快感とネット社会の匿名性が非常にマリアージュしやすい論理的な必然性を持っていた、と言えるかもしれないね
https://youtu.be/YEwzRue45cg?si=00vNJcYClhkFkUQR
踊らないファンクの時代 ― 「オリエンタルファンク」に見るインターネットが再構築した身体とグルーヴ|山脇智志(Satoshi Yamawaki)
山脇氏の論考は「なぜいま、その音楽が立ち現れたのかという構造的理由」と「日本ポップス史におけるミッシングリンク(失われた環)」を論理的に補完している
先の柴氏の記事が「現象の命名とアーティストの系譜(点と線)」を整理したのに対し
1. 身体の不在:フロアから「イヤホンの内側」へ(消費環境の変遷)
山脇氏は、柴氏の指摘した「身体性の後景化(退行)」というパラドックスを、リスナーの聴取環境のデジタル化から鮮やかに紐解いている。
「踊るための機能」から「音像としての質感」へ:
グルーヴとは
本来のファンク(ジェームス・ブラウン等)において
ダンスフロアで「生身の身体を動かすための機能」
現代のオリエンタルファンクにおいて、
「ヘッドホンやイヤホンの内側(デジタル空間)で快感を得るための音響的なテクスチャー(質感)」へと抽象化されている。
制作環境のDAW化とショート動画消費:
楽曲がDAW(パソコン上の制作ソフト)の画面内で完結し、TikTokなどのアルゴリズムによって断片的に消費される現代において、リスナーの身体はフロアにはない。つまり、「身体性は排除されているのではなく、データとして再配置・再編集されている」という状態なんだね。
2. 歴史的系譜の補完:源流としての「山下達郎」という座標軸
ここが山脇氏の論考において最も批評的で面白い部分だ。
山脇氏は日本におけるファンク受容の歴史を遡り、山下達郎という決定的な座標軸を提示している。
柴氏は2018年の米津玄師「Flamingo」を起点としたが、
スタジオワークによる「設計された身体性」:
山下達郎は、黒人音楽のグルーヴを徹底的に研究しながらも、それをドメスティックな「日本語ポップス」として緻密に再構築した。
彼が試みたのは、生身のフロアの熱狂をそのまま持ち込むことではなく、スタジオワーク(楽譜的・音響的構造)によってグルーヴを計算高く設計することだった。
知識的アプローチの連続性:
体験(フロア)としてではなく、知識・構造としてファンクを解体し、再編するという山下達郎の方法論。
これこそが、現代のデジタルネイティブ世代が(おそらく無意識に)行っている画面上のエディット作業と地続きにある、と指摘している。
3. 「Funky」という形容詞への換骨奪胎
J-POPの歴史は、海外の文脈をドメスティックに翻訳(換骨奪胎)してきた歴史でもある。
「ファンク」もまた、精神性や肉体的パフォーマンスから切り離され、「Funky(ファンキーな質感)」という記号へと純化された。
シティポップ(CITY POP)というラベルが、後にグローバルなデジタル環境(VaporwaveやNight Tempo等の文脈)で再文脈化されたように
オリエンタルファンクとは、その純化された記号が、半世紀に及ぶ邦楽の歴史とインターネット時代の再編集文化(ボカロ、TikTok、AI)と交差したことで、必然的に結晶化した現象なのだと言える。