J-Popの歴史
#日本音楽史
J-Popの歴史
平成のJ-POPを7つの時代に分けてみたらいろいろ見えてきた 〜LL教室の試験に出ないJ-POPイベントふりかえり - 森の掟
プレJ-POP期(平成元年〜4年)
特徴
「イカ天」などバンドブーム
ドラマ主題歌からのミリオンセラー
トレンディドラマの主題歌がミリオンセラーになる
平成初期にはおなじみの光景
80年代ニューミュージックの名残り
この頃はまだ昭和の延長線上にあった
バンドブームがメジャーの舞台に移ってきてヒット曲を生み出した時代。
数年前(昭和末期)からインディーズシーンで始まっていた
プリプリ
たま
ユニコーン
ジュンスカ
「ニューミュージック」もまだ現役
昭和のシティポップを支えた人たち
小田和正
松任谷由実
チャゲアス
浜田省吾
山下達郎
後のビッグネームがシーンに登場してきたり、新しい時代の予感もたしかにあった
ドリカム
B'z
通信カラオケ登場
リスナーの音楽とのつきあい方の変化でいうと
カラオケは10代20代が歌える曲がとても少なかった。
夜のお店でおじさんが歌うものだった
レーザーディスク方式だったので収録されてる曲数もかなり限られていて、
通信カラオケの登場によりカラオケで歌える曲数が飛躍的に増え、若者の娯楽として一気に普及したのがこれ以降
特に平成初期はカラオケとCD売上はとても密接な関係にあった。
主なヒット曲
CHAGE&ASKA「SAY YES」
小田和正「ラブ・ストーリーは突然に」
KAN「愛は勝つ」
サザンオールスターズ「真夏の果実」
プリンセスプリンセス「Diamonds」
米米CLUB「君がいるだけで」
LINDBERG「今すぐKiss Me」
たま「さよなら人類」
ビーイング期(平成5年〜7年)
特徴
ビーイング系絶頂期
先日のLL教室イベントでも取り上げたように、1993年はとにかくビーイング系の勢いがすごかった。
ビーイングのセピア色に覆われた1993年に開学した小沢大学〜LL教室の試験に出ないJ-POPイベントふりかえり - 森の掟
小室哲哉がプロデュース業に進出
時代の半歩先のイメージを提示することで求心力をもった
クラブミュージックとカラオケを組み合わせることで、一大ムーブメントを築く
英国のレイヴカルチャーに刺激を受けた
trfは「テツヤコムロ・レイヴ・ファクトリー」の略称
アーティスト自身が歌詞を書く流れ
アーティスト本人が自分の言葉でつむいだ歌詞こそがリアルで良しとする価値観が定着していくのも平成初期〜中期の特徴
プロの作詞家よりも
阿久悠や松本隆や秋元康といった
正直言ってこの時期からずっと自作自演主義の弊害でJ-POPの歌詞のレベルはガタ落ちしたと思う。
ミュージシャンとしてすぐれていることといい歌詞を書けることは必ずしも両立しない
「自分の言葉」とされる言葉も、結局はどこかからの受け売りだったりして
いわゆる「応援ソング」が氾濫した
特に言いたいことがあるわけでも歌詞に対する感度が高いわけでもないミュージシャンが無理に作詞を手がけることとなり
てっとり早く幅広い共感を得られるから手をつけたっていうのがおもな原因ではないだろうか。
プロの作詞家だと気恥ずかしくて投げられないようなド直球のボールがふつうに投げ込まれるのが平成J-POPのひとつの特徴だと思う。
「渋谷系」
そんなメジャー界の動きへのカウンターとして機能したのが、いわゆる「渋谷系」と呼ばれた一連のひとたち
平成の「J-POP」が形成されてきたのがこの時期
特徴的なセピア色のジャケットの決しておしゃれすぎない普段着な佇まいのグループたちが、産業ロック的で耳障りのいいアレンジで爆発的に売れまくる。
若者の保守本流マジョリティ層が心地よいと感じる肌触りのサウンドとして
昭和の「ニューミュージック」に代わって
主なヒット曲
ZARD「負けないで」
篠原涼子「愛しさと切なさと心強さと」
中山美穂&WANDS「世界中の誰よりきっと」
trf「survival dAnce ~no no cry more」
CHAGE&ASKA「YAH YAH YAH」
広瀬香美「ロマンスの神様」
Mr.Children「Innocent World」
小沢健二「今夜はブギー・バック」
TK期(平成8年〜10年)
おもなヒット曲
globe「Departures」
安室奈美恵「CAN YOU CELEBRATE?」
華原朋美「I’m Proud」
SMAP「夜空ノムコウ」
PUFFY「アジアの純真」
SPEED「my graduation」
KinKi Kids「硝子の少年」
kiroro「長い間」
特徴
小室哲哉全盛期
ビーイング期からプロデュース業をはじめた小室哲哉が、この時代にJ-POP界を席巻する。
この時期の小室ファミリーの存在感は圧倒的
小室哲哉の影響で、「プロデューサー」という存在がものすごく注目された時代
たとえば以下も音楽関係者じゃないそこらの学生とかもなんとなくみんな知っていた。
PUFFYがデビューする際には奥田民生プロデュースであることが喧伝された
SPEEDが伊秩弘将プロデュース
ミスチルが小林武史プロデュース
紅白歌合戦のうんちくツイート的な、ちょっとだけメタな語り口が世の中に浸透してきたんだと思う
この前もこの後も、普通のひとがここまでプロデューサーを意識した時代はなかった。いま思うとなかなか特異
ジャニーズアイドル復権
この時代から現代まで続く傾向としては
昭和の最後にブレイクした光GENJIが失速して以降、長らくジャニーズは低迷していた。
昭和的なキラキラしたアイドルのあり方がダサいとされ、歌番組という活動の場も減っていったことが原因
結果として新しいアイドル像を作り上げることに成功したのがSMAP
平成の時代の空気にフィットした
カジュアルな装いでバラエティ番組でもうまく振る舞えるような、あのノリを身につけたことで
後続グループも、みんなSMAPが苦労して切り開いたコースに乗っかっている
嵐
関ジャニ∞
など
※このあたり詳しくはLL教室の矢野利裕せんせいの著書を参照で。
Amazon.co.jp
女性R&Bディーヴァ
J-POPを語る上で外せないライン
クラブカルチャーのメジャー化
たくさんの歌手がこの数年でデビューしたのだった。
UAやbirdやMISIAといったあたりが中心となって注目されるように
宇多田ヒカルや倖田來未も最初はこの流れで出てきた
その後の青山テルマや西野カナやJUJUといったあたりまで続いている
それなりの歌唱力とキーの高さを求められる曲が流行った
具体例
globe
華原朋美
安室奈美恵
男性ボーカルも平成になってどんどんキーが高く音域が広くなってきている
B'zやミスチルに代表されるように
現在もこの傾向が続いている。
カラオケがある種の競技になっていく
JK期(平成11年〜14年)
おもなヒット曲
GLAY「Winter, again」
福山雅治「桜坂」
宇多田ヒカル「Automatic」
倉木麻衣「Love, Day After Tomorrow」
Dragon Ash「Grateful Days」
モーニング娘。「LOVEマシーン」
浜崎あゆみ「A」
RIP SLYME「楽園ベイベー」
特徴
ヴィジュアル系がお茶の間に
数年前までビーイング系がいた場所に、ヴィジュアル系がおさまった
Xという異端のメタルバンドが独力でつくったジャンル
たった10年ちょっとでここまできた
GLAYの「Winter,again」が200万枚売れた1999年。
10代20代の男子は競ってカラオケで歌った
有線でもGLAYは支持された
有線大賞とレコ大のダブル受賞
この時代まだ影響力があった
それ以上に日本人のメンタリティにキレイにハマるよくできた形態だったってことだと思う。
Xがそれだけすごいってのもそうだけど
あゆとケータイ小説
前の時代との韻を踏む意味でも「JK期」と呼びたい。
女性でいうと同期組が華々しく活躍していく時代
宇多田ヒカル
浜崎あゆみ
孤独を抱えた当時の女子高生の気分にぴったり寄り添って圧倒的に支持された
椎名林檎
aiko
詳しくはこちらを参照。
Dragon Ash、あゆ、GLAYから読み解く1999年のJ-POPと時代の空気 〜LL教室の試験に出ないJ-POPイベントふりかえり - 森の掟
女性アイドル冬の時代の終わり
80年代といえば女性アイドルがキラキラと輝いていた
黄金時代から
松田聖子、中森明菜、小泉今日子たち
後続のおニャン子クラブまで
が、平成に入ると完全に流れが変わって低迷する。
平成初期に絶大な人気があったひとたちも、「アイドル歌手」とは名乗らなかった。
たとえば宮沢りえや観月ありさや牧瀬里穂や広末涼子
それぞれ歌手活動もしていたけど
そのかわりに、「グラビアアイドル」というあり方で認知されていくコースができたりした。
細川ふみえや小池栄子のように
かつての「アイドル歌手」というあり方は、古臭い存在になってしまっていたのだった。
後ろにいる大人たちに操られた人形のようで
「アイドルはウンコしない」っていう清純イメージにとらわれて身動きが取れない
浜崎あゆみのように「自分の言葉」を歌詞につづる「アーティスト」であることが尊いとされる時代が平成初期だった。
たとえば当時の森高千里なんてどこからどう見てもアイドルそのものって感じもするんだけど、巧みなブランディングによりアイドルではない独自のポジションを築いていた。
ここにきてモーニング娘。が流れを変えた。
地下アイドルが大繁殖する流れはここから始まっている
しかし平成期にブレイクしたアイドルはもれなくソロではなくグループだったというのは興味深い
その後のAKB48やももクロに続き、さらにその他大勢の地下アイドル
着メロ・着うた
現在のサブスクリプションモデルまで続く、業界の大きな変化のはじまり
携帯電話で高速データ通信ができるようになった
音楽をフィジカルじゃなくデータで買うようになったのはここから
シングルCDしかない時代はほしい曲を購入する最低コストは1,000円だったんだけど、着うたフルはたしか315円とかだったので客単価が3分の1になってしまった
レコード会社以外の、流通業者や小売店、CDのプレスやブックレットの印刷といったフィジカルにつきもののビジネスも、何なら別になくてもいいってことになってしまった。
さくら期(平成15年〜19年)
おもなヒット曲
SMAP「世界に一つだけの花」
森山直太朗「さくら(独唱)」
秋川雅史「千の風になって」
平井堅「瞳をとじて」
嵐「love so sweat」
ケツメイシ「さくら」
コブクロ「蕾(つぼみ)」
YUI「CHE.R.RY」
特徴
桜ソング
見ての通り、いわゆる桜ソングが量産された時代
やさしいバラード多め
「千の風になって」のようなやたらと優しくてゆったりとしたバラード曲が多めになっている。
桜ソング以外のヒット曲を眺めてみても
そんな曲を必要とするほどに社会が傷ついていたのかどうなのか
特に大きな災害や事件があったわけでもなさそうなのに
個人的には、アッパーなJ-POPが存在してくれて助かったなと感じている。
こんな時代にもmihimaruGT「気分上々↑↑」やPerfume「ポリリズム」といった
つまりこの時代のメインストリームはだいぶ苦手だった。
まあ、この時代に名前をつけるとしたら「さくら期」ってことになるだろうけど。
ちな当時、CDの売上はものすごい勢いで落ちてきていた
対策として登場したのがコピーコントロールCD。
当時ひそかに流通したWinnyなどのP2P通信で音源が違法アップロードされてるからじゃないかということになり
結局コピーコントロールCDが登場してもCDの売上は上向きに戻ることはなく、今に至るまで長い下り坂は続いている
いつの間にかコピーコントロールCDは姿を消した
音楽配信の売上がシングルCDを上回る
ジャニーズの勢い
一方で、SMAPが切り開いた平成型ジャニーズのコースには嵐やKAT-TUNといったグループも順調に乗っていく。
ここらへんから完全に量産体制に入ってくる感じ
NEWSやHey!Say!JUMPや関ジャニ∞らが相次いでデビュー
ネット発のカルチャーやいわゆる秋葉原オタクカルチャーが盛り上がってきた時代
ニコニコ動画や2ちゃんねるや初音ミク、メイド喫茶
次の時代でそれらが一般レベルに浸透し、界隈から出てきたアーティストやリスナーたちがJ-POPシーンの新たな重要プレイヤーになっていく。
AKB期(平成20年〜24年)
おもなヒット曲
嵐「One Love」「truth」「Believe」など多数
AKB48「ヘビーローテーション」「フライングゲット」など多数
きゃりーぱみゅぱみゅ「つけまつける」
青山テルマ「そばにいるね」
西野カナ「会いたくて会いたくて」
GReeeeN「キセキ」
ゴールデンボンバー「女々しくて」
ももいろクローバー「行くぜっ!怪盗少女」
特徴
AKB48総選挙によりCDが握手券に
アイドル戦国時代
ギャル演歌
嵐がリリース面では全盛期
こうして客数が減ったぶんを客単価でカバーするようになったこの時代
このあたりから、オリコンCDランキングを見てもシーンの動きが一切わからなくなってくる。
1人で何枚も同じCDを買うようになったから。
AKBグループが総選挙の投票権をCDにつけた
AKB以外でも同じタイトルのシングルを複数の形態でリリースするのが当たり前になってきた
初回版A/初回版B/通常版みたいな感じで
しかしこの時代のミリオンセラーは、いいとこ50万人ぐらいの認知にとどまっていても不思議はない。
買い手が下手したら5万人ぐらいしかいない
歌番組などで知らない曲にふれる機会も少ない
かつてのミリオンセラーは100万人の買い手が確実にいた
し、そこから口コミや歌番組などを通じて認知がさらに拡大し、最終的に2000万人ぐらいが知ってるレベルの存在感があった
そうなると歌そのもので世間一般を相手に勝負するよりも、コアなファンに深く入っていける形態が強い。
AKBやハロプロ勢といったどメジャーに続くように、ももクロやBiS、でんぱ組.incといったアイドルグループが次々に登場し、いわゆる戦国時代に突入する。
それとはまったく別の文脈で、浜崎あゆみから連綿と続くラインの最新型がこの時期「ギャル演歌」と呼ばれたりもした。
それでもつらい恋に耐える女子たちの共感をしっかりと獲得している。
「会いたくて会いたくて震える」というパンチラインは強烈すぎてネタになってしまった面もあるけど
平成も20年まできたこの時期にあっても、ど真ん中で売れるJ-POPの恋愛観
「着てはもらえぬセーターを/涙こらえて編んでます」と歌った昭和の頃からあまり変わっていないってことに驚かされる。
LDH期(平成25年〜31年)
おもなヒット曲
AKB48「恋するフォーチュンクッキー」
RADWIMPS「前前前世」
EXILE「EXILE PRIDE ~こんな世界を愛するため~」
三代目 J Soul Brothers「R.Y.U.S.E.I」
星野源「SUN」「恋」
欅坂46「サイレントマジョリティー」
乃木坂46「インフルエンサー」
米津玄師「Lemon」
特徴
LDHのトライブたち
恋チュンや恋ダンスなど踊る動画
坂道シリーズ
Youtube、Spotify、AppleMusic
中目黒の町並みが一変したほどの、LDHの勢い。
EXILEを筆頭に、トライブというかたちでいろんなグループがデビューしていく様
かつての横浜銀蠅の銀蠅一家を彷彿とさせる。
疑似ファミリーを形成したがるという、古今東西の不良に共通したメンタリティーがよくあらわれているよね。
とはいえ、義務教育におけるダンス必修化の流れに寄り添うようにNHKで子供向けダンス番組を手がけるあたり、不良っていっても別に反社会的勢力っていうわけではなく、むしろ体制側にがっちり食い込んでいるのが平成後期らしいあり方だなと。
そう、この時代はやはり「LDH期」と呼ぶべきだと思う。
彼らはこのまま地位を固めていき、東京オリンピックでも中心的な役割を果たすんじゃないかとにらんでいます。
ダンスってことでいうと、LDHに限らず「恋チュン」や「恋ダンス」や「U.S.A」といった感じで、ダンスの動画をきっかけに国民的ヒットが生まれるのがここ最近のモードでもある。
一方で踊れない男子たちは自意識過剰に前髪を伸ばしていく。BUMP OF CHICKENからRADWIMPS、SEKAI NO OWARI、そして米津玄師へと続く流れが、あるタイプの若者たちの気分にがっちりとハマっていく。
10代がカラオケで歌う曲はもはやドラマ主題歌とかではなくアニソンやネット発の曲になっているんだけど、そういった界隈の曲にも通じるノリ。
あと、自分はみんなとは違うんだって思ってる10代が選ぶ表現手段の移り変わりも感じる。
平成初期のそういうやつらはとりあえずロックバンドを組んだものだったけど、バンドが廃れた平成中期にはDJがその座を奪う。
バイト代を貯めて買うのはギターが定番だったけど、ターンテーブルとミキサーにお株を奪われた時代が一瞬あった。
その次にそういうタイプが選んだのが、漫才コンビ。
M-1グランプリで一夜にしてスターが生まれた(ように見えた)時代、勉強もスポーツも苦手だけど野心だけはある若者の憧れは音楽からお笑いにいった。
でまたお笑いのブームが一段落すると今度は「フリースタイルダンジョン」をきっかけに、この時代はラッパーが自己表現の手段として定番となる。
音楽の聴き方としてはやはりSpotifyやAppleMusicなどのサブスクリプション・サービスの登場はめちゃめちゃデカい。
定額で膨大な曲が聴き放題という特性や、またレコメンドの精度が上がったこともあり、40代がノスタルジー沼から抜け出せなくなったり、逆に若い世代が軽々と過去のアーカイブをディグしたりといった現象が起きている。