心の哲学 philosophy of mind
精神と身体は双方神によって創られ、前者が後者を支配するキリスト教的見方
自然科学の発展で精神優位は衰退していく
物質主義の元祖
「彼は痛みを感じている」と「彼が痛みを感じていると私は信じる」に違いはない
は痛いを感じているは第三者が報告するときにどのような構文を使うべきかというルールに過ぎない
周囲の人間かいつの間にかロボットになったら
ひとりの部屋で想像したら気持ち悪い感じがするが、普通の往来でそこの子どもはロボット似すぎないと言われてもほとんど何も感じることがない
そうか?
相手との距離が確保されていて、自分とあまり接点がなければ、内面の意識の有無はさほど気にならない
いろんな反論が検討されている
文章をだけでなく、自分が書いていると知っていること、自分の成功に喜んだり失敗に嘆いたりしない限り人間のように考えているとはいえない
でもそれは他人は推測することしかできない
それは人間と同じ
自分が考えていると感じるかを確かめるためのテストをすれば良い
私は「私が意識を持っている」ことをどのように知るのか、本当に知っているといえるのか という根本的な問い
意識は脳内のプロセスである
「心的な痛み」の特定のタイプ=脳内の特定の部位の神経線維の発火一般が同一タイプ
ある瞬間における「心的な痛み」と、その瞬間における、その人物の身体に生じた物理的出来事の同一性に注目する
心的出来事と物理的出来事の両者を対応させる厳格な法則はない
ある行動に対して様々な心的な要因が関わっている
心的出来事の輪郭は不確定性があるのでそれらをまとめて物理的出来事のタイプに還元することはできない
加えて、物理的出来事を抜きにした純粋な心的出来事はない
心的な物は物理的な物の運動の副産物、前者から後者への影響はないとする一方、前者の独立性を主張する
二元論の一種
脳-心に還元法則はあるのかという議論
タイプ同一論者は痛み=神経細胞におけるV波の発火だとしている
人間と同じ外見行動パターンは持っているが身体の構造が違う宇宙人を想像し、痛みを感じているように見えない反応をしているがW波が発生している場合
これは痛みではないのか
チューリングテストにパスする人工知能は意識を有していると見なすべきではないかと示唆
特定の機能を担う物理的な組織構造
同じ機能さえ持っていれば、従来の意味での脳内プロセス=意識を同一視する根拠は揺らぐ
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パトナムは脳だけの自分を考えるのは不可能であると主張
コンピューターにできないこと
状況ではなく環境の中で自己を方向付ける
心的出来事の物理的出来事への還元が問題になるのは、そもそも心的出来事を記述するための既存の言説が、私たちの生の経験に根ざしているのでそれらを物理主義的な言語に還元しないと行けないという前提に立っているから
その前提に根拠はあるのかという立場
物理主義への批判
心理学的な実験によってその実態を捉えることのできる神智学的概念と、どのように感じるかなどを巡る現象的概念を区別し、後者に絞った意識論を展開
サール
中国語の部屋
何かを自発的に関わっていく姿勢が必要
分を理解するとはその分によって表象される他者の指向性を理解すること
クオリアの三つの法則
1. クオリアを伴う感覚において生み出される表象は取り消し不可能である
2. 一方で、その表象をどのように処理するかについては多様な選択肢がある
3. クオリアを帯びた表象は、その表象に基づく判断が成されるまでの間、作業メモリーを維持させる働きがある