上位存在を持ち出し意見を正当化する姑息者にはなるな
論理とは,一般に公理系を唯一の出発点(群)とした記号体系の積み重ね,を指す
したがって,一般的な会話では,何かしらの共通認識を一種の擬似的な公理系 (以下,疑似公理と呼ぶ.)として,論理を積み上げていく
昭和的でold-schoolなメンタリティが跋扈した環境だと自分の意見を頭ごなしに否定されることが多い.
当該環境における上層部の人間は,我々が原理的に観測不可能な上位存在を持ち出し,我々の論理を否定する (ときには人格までも否定する)
例えば,学生の我々に対して
「社会人では〜〜」←学生は今すぐ社会人(上位存在)になることはできないのだから反論できない
「プロの研究者では〜〜」←"プロの研究者"(上位存在)というあたかも集合的合意が取れているかのような曖昧模糊な存在に対しては,実体が存在しないのだから反論できない
「アメリカの学生は〜〜」← 日本人学生はアメリカの学生群(上位存在)を今すぐに認知することができないのだから反論できない
「一流のエンジニアは〜〜」←その組織に一流のエンジニア(上位存在)が存在しない場合,共通認識が取れないので反論できない
学生を説得するには手っ取り早い方法論なのかもしれないが,真偽がどうであれ,これは相手をどこまで信頼しているかという信頼の問題に帰着するため,妄信的で宗教的な組織が出来上がる.
結果として,狂信者と懐疑者の二極化が進み,不健全な組織体系が生まれる.
したがって,我々は健全な疑似公理を設定し,健全で建設的な会話を設計することが望まれる
健全な疑似公理を設定するには,こちらの認識を具体的・物質的・視覚的に開示する必要がある
例えば,「プロの研究者ではXYZ」と言いたいなら,その主張を第三者が納得できるようなXYZの視覚的で具体的な材料 (作業内容・作業風景・メッセージのやり取り) を見せて,疑似公理の擦り合わせを行わければならない.
{具体, 物質, 視覚}的な傍証を示せない場合は,なぜXYZが正当化されるのかを真に論理的に説明しなければならない
要は,不健全な疑似公理の元で論理を紡ぎ,相手を弾圧する姑息者は真にロジカルな人間とは言えない