音楽は早送りできない
――ちなみに日本の音楽シーンについて、ermhoiさんが感じることなどはあります?
ermhoi:夫の出身地・オーストラリアではインディのSSWのアートワークにも文化庁的なところから助成金をもらっている表記があったりして。そういう仕組みが日本にももっとあればいいなとは思いますね。
ただコロナ禍のときに感じたことですが、日本にも助成金のシステムが意外とあるんですね。美術界隈だと活用する人が多い反面、音楽関係者は活用していない気がします。
――日本では成り上がり的な、自力で稼ぐことが美徳だという考えが強いのかもしれません。
ermhoi:“ちゃんとビジネスにしないと”って考えがちな気がします。確かに音楽は商品になりやすいですが、全員がそうなると売れる、わかりやすい音楽ばかりになってしまう。それとは別のやり方を考えていく必要がありますよね。
――逆にマンガなら「pixiv」や「Kindleインディーズ」、ライターなら「note」などのプラットフォームで非メジャーの作家がマネタイズする流れがありますが、音楽ではいわゆる「続きを読む」や「おまけカット」などの付加価値を付けづらい点で、難しさも感じます。
ermhoi:視覚コンテンツとの差がそこに出ますよね。音楽を聴くって時間のかかる行為だから。時間をかけて体感するという意味で映画に近いというか。
――ただ映画を早送りして観る人が増えている一方、音楽は早送りできないですよね。したところでアレンジ違いや別バージョンになってしまう。TikTokの影響による“Sped Up ver.”もリミックスとして考えられます。とすれば、音楽は早送りできない唯一の時間芸術なのでは?
ermhoi:確かに。時間をかけることで「おまけ」がもらえるなどの利点があることよりも、本来は時間をかけて聴くこと自体がベネフィットなはずなんです。人との関係もそう。お酒を飲まなくても1時間じっくり話せば、いい話ができたりする。
瞑想も時間を緩める行為だから流行ってると思うんです。そこに音楽は入り込む気がしていて。リラクゼーションなサウンドという意味ではなく、早回しの社会に“待った”をかけられるのは音楽だけなのかもしれないから。