損得という言葉をなるべく使わないようにする
「一度きりの人生、楽しまなきゃ損」わりと普通に受け入れられがちなこの物言いに異議を唱えたい。そもそも僕たちは損とか得とかそんな程度の次元のものさしではかられるはずもない。計り知れないものを理解しやすいように単純化することは導入としては良いけど、いつまでも単純なままそこに留まってしまうと良くない。 〇〇なのはお得
〇〇なのは損
などの言い回しをなるべくしないようにしたいと思う。
代替案として
〇〇なのは嬉しい、楽しい
〇〇なのは悲しい、ムカつく
とか、なるべく自分の感情に寄り添った言葉を使いたい。
値段とかの話でも、損→「高くて悲しい」得→「安くて嬉しい」でいけるかも。
なぜかというと、今まさに生きていくことに迷いを感じている人を前にしたときに、損得で生きる意味を伝えられない、伝わらないと思うから。
伝えるべきことを今の自分が持ち合わせているというわけではない。生きていく意味は別途、考える必要がある。 損得で考えたとき、生きるのはお得だと言い切るのは難しい。生きるのは損じゃないかという問いに反論することも同様に難しい。
損得という資本主義思想によって磨かれまくった概念に体を支配されてしまうと、最終的に電車に飛び込んでしまうことがある
「コスパ」は突き詰めると「いますぐ死んだほうがおトク!」になりがちなのであまり突き詰めないほうがいいよなあ。
損とか得という言葉は数字との結びつきが強いのであたかも客観的な基準に基づいているように思えるが、実際は極めて主観的なシチュエーションで(感情に基づいて)使われることもある。
なるべく資本主義への最適化を避けたい
そのための悪あがきという意味で、非常に形式的でかっこつかないんだけど、損得という言葉を忘れたことにしてみる。
思いつきのかっこよさげな言葉(エクスキューズ)
勉強したり資格を取ることを「自分への投資」などと言うこととか ケイボンは、「自分への投資はケチるな」と言っている。 いくらかの適応はやむなし。生きるのに。
別ページになりそう。