怒りや悲しみと距離感
良くないことが起こっていること、なんとなく知ってはいるものの、怒りや悲しみでおかしくなったり疲れたりする人は僕の見えるところにはあまりいないと思う。
たとえばあおり運転とか、乱暴な言い方だけど上記に比べるとささいなことが、凄まじく広がって怒りや悲しみを巻き込みながら雪だるまみたいに大きくなっていく 距離が近い。
小学校で起こった問題とかわかりやすい
「私にも小学校に通っている子供がいるので他人事ではありません...!!!!」
他人事なんだけど、他人事ではなくなる。
同じ街、都道府県、地方、国内、アジア、世界、と、物理的な距離と比例してどんどん他人事になる。
インターネットは距離をなくしたはずだけど、共感の距離はいまだなお物理的な距離をベースにしている、ところもある。
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自分の身の上に降りかかること以外は全部他人事だとまず認める(認めたい)
同じ町内で知らん人の家が火事で全焼した(かはしらん)けど、他人事。
だって食べたいときに行けないから。
全部他人事だと認めた上で、あくまでも自己中心的に共感を寄せるものごとや相手を選んでいる、自分が無慈悲な選別者であるということも認める。
こないだは落ちてるゴミを見てみぬふりをしたけど、今日はなんか気分がノッたので拾って捨てる(大体拾えない)
困ってる人、具合が悪そうな人、声かけたりかけなかったりする(大体声かけれない)