勝手にしやがれ
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パトリシアの話、フォークナーの「野生の棕櫚」のラスト、「無と悲しみだったら私は悲しみを選ぶ」と言った主人公? 興味ある 読了後、やっぱり「苦痛=悪い」の前提が少し脆弱だと思った。
苦痛>無 ていう価値観やアルゴリズム(?)はあり得るんだよな
「盗人が盗み、密告者が密告し、云々カンヌン」てセリフも印象に残ってる、テンポ良い。
尺が最高。
パトリシア、ジーン・セバーグさん、ベリーキュート。ベリーショート。
理想の恋愛というか人としての成熟とかかっこよさを感じた。
今まで観た恋愛映画(?)の中で一番高みにあるかも。
音楽も良い。
フランス、タバコ吸いすぎ、ポイ捨てしすぎ。昔の映画観ると結構喫煙習慣に対して笑っちゃうことあるけど、フランス映画は別格。
結構ワンシーンの中に不自然な編集点?みたいのがいくつもあって、会話の途中にカクっカクってなる箇所。あれがなんか不思議と気持ち良いアクセントとかグルーブ感出してて、わざとやってるのか気になった。
沿革・概要
1958年7月、フランス映画『悪魔の通り道』が第8回ベルリン国際映画祭で公開された。ジョルジュ・ド・ボールガールがプロデューサー、ラウール・クタールが撮影監督、ピエール・シェンデルフェールとジャック・デュポンが共同監督を務めたこの映画を20世紀フォックスが配給することになる。
そのとき同社のパリの宣伝部で働いていたのがジャン=リュック・ゴダールだった。ゴダールはボールガールの前で『悪魔の通り道』をこき下ろすが、ボールガールはそのゴダールを、ピエール・ロティ原作の『氷島の漁夫(Pêcheur d'Islande)』の脚本を書かせるために雇った。ゴダールは6週間にわたってこれに取り組み、結局放棄した。シェンデルフェールが監督し、クタールが撮影監督を務めた『氷島の漁夫』は1959年5月19日に封切られるが、不入りによりボールガールは60万フランの負債を抱えた。
ゴダールは、一文無しとなったボールガールに4つの映画の企画を持ち込んだ。その中に、フランソワ・トリュフォーがタブロイド紙の記事を元に書き上げた4ページのシノプシスがあった。同年5月のカンヌ国際映画祭でトリュフォーの『大人は判ってくれない』が監督賞を受賞して以後、多くの映画プロデューサーがそうであったように、ボールガールはヌーヴェルヴァーグの作品を探し求めていた。トリュフォーのシノプシスにボールガールは飛びつき、「トリュフォーにシナリオを書いてもらえたら最高だな。トリュフォーは君の友だちだ。書いてもらえるか」と言った。ゴダールは「いいでしょう。書いてもらいましょう」と答えた。さらにボールガールは同年7月のベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞した『いとこ同志』の監督クロード・シャブロルの名前も挙げた。「最初の映画には誰か技術顧問が必要だ。クロード・シャブロルも君の友だちだろ。引き受けてもらえないか」と頼んだ。ゴダールは「いいでしょう。頼んでみましょう」と請け合った。
ゴダールは若いキャメラマン(ゴダールの短編映画『男の子の名前はみんなパトリックっていうの』などを撮影したミシェル・ラトゥーシュと言われている)と組む予定でいたが、ボールガールは新人監督に新人キャメラマンを付けるのは不安だったため、映画製作に当たり、旧知のラウール・クタールが担当するという条件を出した。クタールの証言によれば、ゴダールは仕方なく承諾したという。
トリュフォーとシャブロルのネームバリューのおかげで、ボールガールは配給業者ルネ・ピニエールと、フランス国立映画映像センター(CNC)につてのあるプロデューサーのジェラール・ベイトゥーから、51万フランの予算を獲得することができた。撮影は1959年8月17日から9月19日にかけてパリとマルセイユ近郊で行われた。
1959年12月2日、映画倫理規定管理委員会は、この作品を18歳未満入場禁止の映画とすることを11票対9票で可決し、1か所の削除を要求した。削除を求められたのは米国のアイゼンハワー大統領とシャルル・ド・ゴール大統領が車でシャンゼリゼをのぼっていくシーンであった。年齢制限の規制は1975年6月に解除された。
1960年3月16日、公開。18歳未満入場禁止であったにもかかわらず、最初の週の入場者は50,531人に達した。そしてパリでの7週間のロードショーの総入場者数は25万9,046人を記録した。当時、新外映に勤務していた秦早穂子は買い付けを決定した際に、原題の「À bout de souffle」(「息せき切って」という程度の意味)を「勝手にしやがれ」と命名した。日本では、本国の公開から10日後の3月26日に公開された。邦題については、公開前年に川内康範が発表した小説の題を新外映が使用許可を買い取り流用したとの説もある。沢田研二の同名楽曲は、当作の邦題が元になっている。
監督 ジャン=リュック・ゴダール
脚本 ジャン=リュック・ゴダール
原案 フランソワ・トリュフォー
出演者 ジャン=ポール・ベルモンド
ジーン・セバーグ
配給 フランスの旗 SNC
日本の旗 新外映配給
公開 フランスの旗 1960年3月16日
日本の旗 1960年3月26日
上映時間 90分
ミシェル・ポワカール/ラズロ・コバクス:ジャン=ポール・ベルモンド(前田昌明)
パトリシア・フランキーニ:ジーン・セバーグ(真山知子)