テキストの所有よりもアンチ所有
今書いてるこれも含めてほとんどすべてのテキストはどうでもいいものだし、本来なら記録媒体の経年劣化や破損紛失などによって適当に失われていってしかるべきものだ。ずっと残ることのほうが異常なのであって、それを当たり前のように考えるほうがどうかしてる。それにテキストはひとたび書かれたならば未来永劫書き手の完全なコントロール下に置かれるべきではない。テキスト自身の存在価値に応じて書き手の意思を超えて広まったり生き延びたりしてもいい。そういう権利、あるいは機会がテキスト自身に与えられるべきだ。まあおれの書いたテキストはほぼ間違いなく死滅するだろうけど、その生殺与奪はおれ一人の手に委ねられていていいものではない。 この手の話で、主体をテキストに持ってくるの、良い。
おれはテキストの所有よりもアンチ所有に関心があり、はてなにはテキスト自身の生命力をエンパワーする思想に裏付けられた仕組みがあると勝手に解釈している。すなわち、はてなブックマークと有志によるウェブ魚拓であり、はてなスターにおける引用スターである。おれはそのスタンスに魅力を感じていて、だからはてなを選ぶし、そのはてなからテキストが消えねばならないのならそれは消えるべきなのだ。