社会であるとか、生活であるとか、
ところで労働や、人生なんてものは、本当にくだらない。それは労働や社会というものが私に在り方を強いるからで、私がそれに応じるからで、人生をくだらないものにしているのは私自身なのだけれども、だからこそ動物がありのままでいる様子は本当に感動的で、フリーインプロビゼーションは美しいと思うのだけれども、社会であるとか、生活であるとか、私自身のありように干渉しようとする意思を、私は意識せずにはいられない。その極地である労働や、つまるところ人生は、結局のところ私自身の意思ではないような気がして、そんな思いつきから鬱々としたものが溢れ出しては惨めな気分になるのである。