畜犬談
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本当に面白すぎた、笑いすぎてお腹痛くなった。ずっと笑いが止まらねぇ〜と思ってたら、いつの間にかほんのり泣けている、読書体験でもかなりオールタイムベスト。太宰治、推せる、推せるっていうか、愛せる!
ことしの正月、山梨県、甲府のまちはずれに八畳、三畳、一畳という草庵を借り、こっそり隠れるように住みこみ、下手な小説あくせく書きすすめていたのであるが、この甲府のまち、どこへ行っても犬がいる。おびただしいのである。往来に、あるいは佇み、あるいはながながと寝そべり、あるいは疾駆し、あるいは牙を光らせて吠えたて、ちょっとした空地でもあるとかならずそこは野犬の巣のごとく、組んずほぐれつ格闘の稽古にふけり、夜など無人の街路を風のごとく、野盗のごとくぞろぞろ大群をなして縦横に駈け廻っている。甲府の家ごと、家ごと、少くとも二匹くらいずつ養っているのではないかと思われるほどに、おびただしい数である。
甲府の悪口。確かに、俺が小学生ぐらいの時、甲府の端っこではあるが、野犬なのか飼い犬なのかわかんない犬がいろんなところにいた気がする。
私は、喧嘩を好まず、否、好まぬどころではない、往来で野獣の組打ちを放置し許容しているなどは、文明国の恥辱と信じているので、かの耳を聾せんばかりのけんけんごうごう、きゃんきゃんの犬の野蛮のわめき声には、殺してもなおあき足らない憤怒と憎悪を感じているのである。
喧嘩を好まず、否、好まぬどころではない。殺してもなおあき足らない憤怒と憎悪を感じているのである。
ポチが、皮膚病にやられちゃった。
やられちゃった。←急にフランクw距離一気に近くなったっw
盆地特有の酷暑で、少しへんになっていた矢先であった
甲府の悪口
『畜犬談』(ちくけんだん)は、太宰治の短編小説、あるいは随筆。
表題には「伊馬鵜平君に与へる」と添えられている。作中の「犬に噛まれて三七、21日間通院した」という友人とは太宰の親友であった伊馬鵜平(伊馬春部)の事、あるいは伊馬をモデルにしたと思われる。また、作中の「私」は甲府に住む妻帯の小説家であるため太宰本人だと考えて間違いなさそうであるが、この小説の内容がすべて事実なのか、事実を基にしたフィクションなのか、あるいはまったくの創作であるのかは判らない。
作品集『皮膚と心』に収録されたのち、『風の便り』(利根書房、1942年4月16日)と『玩具』(あづみ書房、1946年8月10日)に再録された。
冒頭から終盤に至るまで犬を恐怖の対象とし、完膚無きまでに蔑視・罵倒し倒すような内容ではあるが、積極的に虐待などを加えるものではない。むしろ犬を真正面から真剣に脅威の対象として捉え、その対処法を切実に論じるなど、犬嫌いの悲哀をユーモラスに描き出している。昨今の常識や風潮からすれば、太宰の主張は度を過ぎている感もあるが、もちろん当時は動物愛護法などの法整備もされておらず、また狂犬病など犬を媒介する疾病の予防接種が義務化されていなかった(狂犬病予防法が公布されたのは昭和25年である)ため、現在の感覚で太宰の主張の良し悪しを計ることは正当ではない。また、作中の「私」も犬に対する自らの主張や行為を最終的には恥じ、反省しているようである。
https://ja.wikipedia.org/wiki/畜犬談
Wikipediaの備考、ずいぶん私的な感想だ。この人にとっての最寄のテキストエリアだった感。