土御門家
孝元天皇の後胤と伝わる左大臣阿倍倉梯麿の10代目安倍晴明は平安時代中期に陰陽頭となり1、その子孫も代々陰陽頭を務め2、陰陽道、天文道、暦道をもって朝廷に仕えた1。公家としての家格は半家3、旧家、外様4。 室町時代の有宣の代に家名を「土御門」と称するようになったという1。応仁の乱後には戦火を逃れて一時若狭国名田庄に移住し、同地で三代にわたって天文や暦学の道場を開いた56。 戦国時代に勘解由小路在富の死去で暦術家が絶えた際に詔により土御門有脩が天文博士・暦博士も兼務するようになり、子孫も兼務した1。宮中の陰陽寮の執奏を掌握して、諸国の天文・暦道・天社神道・陰陽家を支配下においた1。その門流は陰陽道と神道を習合した独自の信仰を伝承し、天文道、暦道、卜筮、占星、祓禊、咒禁、方忌など多方面にわたって最高権威として朝野に勢力をふるった2。 public.icon