「前向きに生きる」ことに疲れたら読む本
恐山の住職代理が人生の考え方について述べている本。人生の課題に悩んでいる人が読むと効くと思う。
たとえば「上司が嫌いで会社に行くのがつらい」というのは、性格的あるいは人間的に「合わない」のか、それとも仕事上で「うまくいかない」のか。
前者なら、仕事上の必要以上に接触する時間を極力減らし、さらに相手を適当に褒めるかおだてるテクニックを身につけると、状況はかなり改善するはずです。
後者なら、相手を仕事に関わる「条件」として配慮しつつ、当面の課題に集中するのです。その場合、最終的な手柄を相手に譲る覚悟で臨むと、事態は好転しやすいと思います。
26p
他人がいて、自分がいる。その間にはストーリーが生まれ、人は喜怒哀楽を感じます。そしてそこに執着し、いつまでも反芻し続けます。
しかし、そのストーリーとは、自分自身の「記憶」にすぎません。
自分のつくった物語だけを見て苦しい感情にどっぷりつかる前に、問題を解決するには、他人との関係を組み替えることだと見極める必要があります。
「関係を組み替える」と言うとき、試してみる価値があるのは、人間関係の根底にある力関係と利害関係をよく見て、そのバランスを変えてみることです。
やり方のひとつは、「少し相手に譲ってみる」こと(無理して大きく譲るのは逆効果です。バランスが「崩れて」しまうから)。
もうひとつは、新たに第三者を引き込んでみること(あらかじめ十分に問題を理解してもらわなければいけません)。これらの工夫が引き起こす変化を効果的に取り込んで、問題の解決に活かしてみてはどうでしょう。
この種の見極めができるかどうか。
これが、今自分が問題だと思っている状況から抜け出すための大前提です。
p27- p28
人は、人生になんらかの意味を感じないと生きられません。
そして、人間の最大の欲求が「誰かから認められたい」ということです。
では、人から認められるにはどうすればいいか。
それは、「自分のなすべきこと」をなすことです。自分のやりたいことではなく、「やるべきだ」と信じていることです。
簡単に言えば、「何を大切にして生きたいか」を考えて、それをやることです。
p36
それに人生を変えるような大きな決断は、自分の判断だけで済むことはまずありません。不思議なもので、まったく予想外の力が働きます。
私自身も、これまで問題が大きくなればなるほど、「そうせざるを得ない力」が働き、もはや、それを選ぶしか道はないという状況になりました。
予想外の力が働くとは、こういうことです。
たとえば転職するかどうか決められないとき、突然悩みのタネだった上司が転勤になる。あるいは、ヘッドハンティングの話が来る。そのような予期せぬ出来事が起き、職場に残るか辞めるかが自動的に決まったりするのです。
p44-45
まず、世の中に今ある情報の99%はなくてもいいものです。自分にとって必要な情報はせいぜい1%程度でしょう。
抽出された1%を、「知識」と言います。
その知識を、自分の問題に組み込んで使えたときに、「知恵」となります。
抽出した知識を人生にどう生かせるのかがわかれば、それは知恵があるということです。
p57
困難やつらい状況の中で、漠然と「困ったな」「これはまずいな」と言ってるだけでは、何も解決しません。「なんとなくモヤモヤする」「なんだかスッキリしない」とぼやいてるだけでは、事態はますますこじれていきます。
困った状況の根本には何があるのか見て、「なんなのだろう?」「どうしたんだろう?」と自分を困惑させる「問い」を、アプローチ可能な「問題」に組み立てることができるかどうか。
状況を打開できるか否かはそこにかかっています。
「悩みを解決したくてずっと自問自答してきたのですが、答えが見えなくて」と言う方がいますが、それは当たり前です。頭の中で考えるだけでは、「問題」に仕上がっていません。感情がグルグル回転しているだけです。
だから、一度そのサイクルを止めて、「問題」として言語化する必要があるのです。
逆に言えば、言葉にするということは、感情を止めることに他なりません。
p105-106
助言を受けるときに一番大事なのは、解決策を教えてもらうことではありません。自分の問題が明らかになることです。
問題が明らかになれば、相手から答えを提示されるまでもなく、アプローチの方法は自分で見出だせるでしょう。
p108
その後悔を抱えたまま生きればいいと私は思うのです。
するとそのうち、その後悔の中に、意味を発見するときが来ます。
たとえば、身近な人が家族の看取りを迎えたときに、自分の体験をアドバイスして役に立てれば、それもひとつの「意味」です。そのとき、「ありがとう」と感謝されれば、「よかった」と素直に思えるでしょう。
近親者を亡くして後悔している人に、「私も同じだったよ」と声をかけて慰めることができれば、それもまた同じです。
ただし、「そんな日が来るかもしれない」程度の話です。
p154
南氏のブログはこちら
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