漱石と牛の話
1919(大正5)年8月21日、50歳の夏目漱石は、当時二〇代だった才能あふれる二人(芥川龍之介と久米正雄)に、次のような激励の手紙を送っている
勉強をしますか。
何か書きますか。
君方は新時代の作家になる積でせう。
僕も其積であなた方の将来を見ています。
どうぞ偉くなつて下さい。
然し無闇にあせつてはいけません。
ただ牛のやうに図々しく進んで行くのが大事です。
そして直後の8月24日に、もう一通。
牛になる事はどうしても必要です。
吾々はとかく馬になりたがるが、牛には中々なりきれないです。
僕のような老猾なものでも、
只今牛と馬がつがって孕める事ある相の子位な程度のものです。
あせっては不可ません。
頭を悪くしては不可ません。
根気づくでお出でなさい。
世の中は根気の前に頭を下げる事を知っていますが、
火花の前には一瞬の記憶しか与えて呉ません。
うんうん死ぬ迄押すのです。
それ丈です。
決して相手を拵へてそれを押しちゃ不可ません。
相手はいくらでも後から後からと出てきます。
そうして我々を悩ませます。
牛は超然として押して行くのです。
何を押すかと聞くなら申します。
人間を押すのです。
文士を押すのではありません。
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