劣等コンプレックス
劣等感と劣等コンプレックス
アドラーは、まったく無力な状態から脱したいと願うという意味で(生物学的な意味においても、子どもは弱いので大人と比べて自分が劣っている、と考える意味)、優れていようとすることは誰にでも見られる普遍的な欲求である、といってます。
この優勢の追及と対になるのが劣等感で、この劣等感もアドラーは誰にでもあるといってます。優越性の追及も劣等感もこのような病気ではなく、健康で正常な努力と成長への刺激である、といわれています(『個人心理学講義』六八頁)。
このようなアドラーの考えに問題がないわけではありません。なぜなら主観的に自分が劣っていると感じるという意味での劣等感があるから優れようとする、また劣等感が人間を動かすというのは原因論的といわなければならないからです。そこで、やがて優れていることを目標とするということが最初にあって、その結果として劣等感を持つというふうにアドラーは考えるようになりました。
問題は、優越性の追及は普遍的な欲求である、とアドラーはいうのですが、優れていたいと願うことは必ずしも人間にとって本質的なことではなく、それ自体病的なことである、と考えることができるということです。アドラーはこのような意味での優越性の追及、すなわち、ことさらに他の人よりも優れていなければならないと考える優越性の追及を優越コンプレックス、そしてこれの対となるのが劣等コンプレックスで、優越コンプレックスがこれを隠していることがある、と考えます。
位置No. 622
普通の人は優越コンプレックスも持っていないし、優越感も持っていない、とアドラーはいっています(『個人心理学講義』六八頁)。しかし、ことさらに優れていなければならない、と考えるのは、根底に自分は劣っている、あるいはそこまでいかなくとも普通にしていてはいけないという思いがあるからです。
位置No. 659
public.icon