人間の思考が脳だけで完結してない考察
yuki-2021.iconはちょい他人の文章を読んで考えた。特に精神病なんかで精神薬を飲んでる人ならわかるかもしれないけど、人間の思考というのは精神薬で随分と大きく左右される。幸福感を得たいのなら一番手っ取り早いのは依存性のない麻薬をぶち込むことだ。
しかし、それは果たして本当に人生の幸福と同価なのか? 直感的にそれは随分と浅はかな人間の理解の気がした。
人間の感情や認知が脳の仕組みに大きく影響されるのは事実。しかし、それだけで人生や精神性を説明すると「生きた人間」を扱ってることとは違うことになる。
脳内物質で全てを片付けるのは、映画に対して「光と音の物理現象です」と説明するようなもの。そこに付加されてる物語の存在を無視することになる。
人間という生き物は、物語を持っていきている。社会的・個人的な文脈や価値観を背景に自分なりの「意味づけ(物語)」を持っているからこそ、辛い経験にも耐えたり希望を持つことができる。
全部脳という「器質のせい」と切ってしまうと、人生の物語を無視することになる。
自我と身体感覚の重要性について考える。デカルトは「我思う、故に我あり」というように自分を認識してるのが人間の感覚の基本。
肉体があることで、痛み・触覚・体温などを通じて「自分がここにいる」というリアリティが強化される。
例えば、AIのような身体のない存在はこの「実感」がないので、物語を持つ意味がない。物語を持ち、物語を扱うことが人間が人間である条件。
脳だけで人間という存在にイコールにすることはできない。脳という器質を持った上で、その身体と物語性が合わさることで人間が「生きている」という実感を持つ。
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