「人間嫌い」の言い分
オレンジ色のハイライト | 位置: 24
学生時代には授業で 嫌々 読まされた『方丈記』が妙に心親しく思われ、 隠居 遁世 という文字が輝いて見えるようになった。
オレンジ色のハイライト | 位置: 155
広い世間を狭くして暮らすその人間嫌いの処世術
オレンジ色のハイライト | 位置: 189
世間一般の多数意見に異議を唱えたり、みんなが多数決で決めたことに従わない人々。とはいえ、声を大にして反対したり、裏に回って多数派工作をするわけでもなく、ただむすっとして従わない人。会社やご近所にも一人やふたりは必ずいるタイプ。それが本書の主人公である「人間嫌い」だ。
オレンジ色のハイライト | 位置: 223
そんなに人類が大切だと思っているのなら、美しい正論を口にする人々は私利私欲を捨てて行動しそうなものだが、そういうお題目を唱える人に限って、近所の人の悪口とか上司の陰口とかを平気で口にする。
オレンジ色のハイライト | 位置: 301
苦沙弥先生のように世間からの圧迫を、その都度、怒りとして発散できる人は幸せである。ところが人間嫌い体質の人は、そもそもが我慢強く、人と話すのはもちろん、怒りを小出しに発散するのも下手な人が多い。
オレンジ色のハイライト | 位置: 323
人間嫌いが人類全般に対する殺意を収め、世間の側も被害を出さずに済む方法については、夏目漱石がはっきりと書いているとおりだ。すなわち、かかわらないこと。極力、関係の窓口を狭めること。ただし、完全に遮断もしないこと。
オレンジ色のハイライト | 位置: 737
中島敦は昭和十七年に、孔子の弟子で直情型の好漢・子路 を主人公にした『弟子』という小説を書いている。
オレンジ色のハイライト | 位置: 773
善人もまた死んでしまう。道を思いながら世に受け入れられず、あたかも無能無用の人にしか見えぬままに死んでいった人もいるだろう。死は万民に平等に(というよりは無差別に)訪れる。その最期の時に、自分が窮した時間の長さを、心のなかでひとり誇るのが、人間嫌いの矜持である。
オレンジ色のハイライト | 位置: 844
いじめられている側、無視されている側に対しての指導としては、「君は犯罪行為をしていないのだから、悪くはない。だが、もし正しくても孤独は苦痛だというのなら、適当に周囲に合わせてみる努力なり演技なりをしてみてはどうか。それが嫌なら、孤独を楽しむよう工夫するのがいい」くらいが、いいのではないか。これなら、人間嫌い体質の子供も納得できるのではないだろうか。
オレンジ色のハイライト | 位置: 1,447
多数派を形成するためには相手を説得するなり、ねじ伏せるなりしなければならない。いきおい、頑なに自説を強弁することになる。先に紹介した小泉首相の例のように、話をはぐらかし、ワンフレーズでみんなを楽しませ、議論を深めることなく安易な結論に意見を集約することが、ディベート力であるかのように誤解されてしまう。それどころか、つるみ系社会では、どちらが多数派かを見極めるのも重要な知恵だと見なされている節さえある。
オレンジ色のハイライト | 位置: 2,079
もし結婚に条件があるとすれば、それは「諦められる相手を見つける」ということではないか。条件に合わなくても「まあ、この人ならいいか」と思える相手。それが、本当に自分に合った、いい結婚相手なのだろう。それは別に、はじめからそういう関係でなくてもいい。時間をかけてそのようになっていけばいいのである。他人との「関係」に努力と忍耐が必要であることは、人間嫌いならよく知っているだろう。
オレンジ色のハイライト | 位置: 2,091
愛があっても孤独は消えないとペシミストの人間嫌いなら言うかもしれない。ただし、愛情は人間に孤独に耐える力を与えてくれる。愛されることだけでなく、愛することもまた、ほかでもない自分を豊かにするということを、努力を怠らない夫婦(きちんと対立し合うこともまた「努力」の一環である)は、いつか知ることができるだろう。 あまり「人間嫌い」らしくない結論だけれども。
オレンジ色のハイライト | 位置: 2,338
夏目漱石も述べているように、本来、人間が命がけでするべきなのは、自分本位の「道楽」なのであって、「仕事」は所詮、お客様のご要望にお応えする他人本位の奉仕にすぎない。道楽ができるなら、それは羨ましい限りだ。そしてまた、喰うものも喰わずに、道楽を貫く風狂という道もある。もちろんこれは金がないので、世間からはまともに相手にされないのだが、相手にされなくてもいいではないかという前提で生きているのが人間嫌いである。若い頃から、ずっと風狂では成り立たないが、晩年にいたって世間から疎んじられる頃、こちらからも世間とほどほどの距離を取れれば、かえって幸いだと、私などは思う。
オレンジ色のハイライト | 位置: 2,570
友達がいないと不便かもしれないが、別に恥ずかしくはない。恥ずべきは自分がいないことである。自分がいてこそ、はじめて本当に他者とかかわれる。まず自分を持つこと。そしてその自分を、決して正しいものだなどとうぬぼれず、むしろ「人間嫌い」程度に偏ったものとして把握すること。それがへそ曲がりな人間嫌いが実感する「幸福への近道」である。
感想
人を選びそうな本だけど、僕は好きだな。この作者は本当に人嫌いで偏屈なタイプだと思う。
この嫌な世界で、なんとか人嫌いでも絶望せずに世の中を生き抜いていく考え方を書いてるのだと思う。僕自身、かなり偏屈な方なので、この人の書いてる文章は元気づけられた。
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