STATEMENTS
やることに対する幾つかの言及。
やる。
我々が取り上げたいのは、「ある行為全般を行うことを示す口語的な表現」である。英語ではDo。対義語は「やらない」。〈やる/Do〉の射程は広域に及び、目的格に接続すれば、ほとんどの肉体的・精神的な動きを意味することができる。しかし単体では、「能動的な態度」しか示さない。
“やる”しかない。
この空虚な一元論の表象を名に冠することで、舞踊であれ、建築であれ、俳句であれ、映像であれ、彫刻であれ、すべての表現を〈やる/Do〉という平面に配置する。
するとどうだ。それらはたちまち固定された作品ではなくなり、もはや単一の行為でもなく、いまこの瞬間に立ち上がり、崩れ、また立ち上がる矢印の集合となる。
演じることではなく、知的に配置する。配置しながら攪乱し、再び接続していく。
それぞれの身体は開口し、勝手に別の回路を見つけてしまうだろう。
さなぎの中でドロドロに溶けたかのように、表面だけを残して我々の中身を作り変える。
ふと気付くと、風が吹き、水が流れ、都市が変化し続けることと同じ平面にいる。
世界の多様な〈やる/Do〉と結びつきながら、環境の力と共鳴するリズムを紡ぎだすことになる。
それは、我々を・自然を・神を・あなた方を・おしなべて動詞にする魔法である。
制作において、〈やる/Do〉は瞬間の効率や成果、経済合理性から見ればしばしば徒労に映る。
掃除や運搬、繰り返しの作業、訓練。しかし、徒労にこそ人間の時間と身体がむき出しになる瞬間が宿っている。面倒と楽しさは対立するのではなく、同じ地平で共存しうる。
その両義性をむしろ前景化することで、祝祭は立ち上がる。原動力は渇きである。ポスト産業資本主義によって知らぬ間に凍らされた欲望の再加熱である。『バベルの塔』の絵本を後ろから読むような希望である。病的な執着とともに、我々には無意味に生産する権利がある。そこにこそ能動はある。一つの身体が他の身体に触れ、音、動き、思考の流れを撹乱させること。
我々は、“やる”。
https://gyazo.com/d0e125ce7ac1ac713b278a23083d41d6
やることがたくさんありすぎて
むしろなにもやりとげられない。
そんな状態をわたしたちは、
生活だとか人生とよび、すっかりよびなれている。
そこで、やるということにむきあう場をつくりたいと思った。
やるということしか決まっていないが、やることは明確だ。
きめられた時間、きめられたことをひたすらやる。
単純な行為をつうじて、行為の単純なよろこびをとりもどす。
他のことは、やらなくていい。
やる人たちのあつまりに、みる人たちが加わる。
みるというのも、やることのひとつではある。
しかし、みているうちにほかのことがやりたくなったら、
どうぞその場でやりはじめてほしい。
そうなったら、わたしたちもやったかいがある。
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「やる」とは、脱構築のあとで残るシステムが、身体と空間の内部をすさまじい速度で循環する装置です。 なのでやる人もやられる人も血行が良くなりムズムズしてきます。
人間だれしも不快なことや嫌なことを率先して試してみた方がいいですから、私たちが立派でも完璧でもないように、「無用」や「マイノリティ」に対しても歓待を表明し続けるべきです。
嫌悪も不可解も排除せず、それらを信じ続けることで、他者と世界の可能性が回復されると絶対に信じたいんだもの。
だから廃れる前にやっちまうぞ⭐
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「やる」とは何だろうか。
行動に移すこと。アウトプットすること。動作すること。私はそう考えている。
「やる」という行為は、
主体がいて、観測者がいて、
その間に生まれる通信によって成立するのではないか。
宿題をやったのに提出し忘れたら、やってないことになる。提出という通信がなされないと、観測者は宿題を「やった」と観測できないように。
観測者は人間でなくてもいい。
カメラのレンズでもいいし、機械のセンサーでもいい。
「やる」は観測されることで意味を持つ。
では、観測者が神や仏だったらどうだろう。
誰にも見えない存在に向けて祈るとき、その行為は観測されているのか。「やる」なのか。
所作は目に見える。しかし、内に灯る祈りは、誰に観測されるのか。
機械はそれを捉えられるだろうか。
そこに通信は生まれるのか。
私は、「やる」を観測したい。
目の前に、確かに、可視化したい。
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もう人はやらなくていい…
やらなくたっていいよ?
とテクノロジーは言う
もうなにもやらなくていい…?
やることが奪われる…!
と人間は言う
そんな時代に
「やる」ことが
ひとつの生活となり
ひとつの言葉となり
ひとつのケアとなり
ひとつの会話となり
人間とテクノロジーの
ふたりの詩となりますように
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