大人
大人になる・なれよというのはしばしば内包している要素が多すぎる 主語がデカいのと近い 世の中を見るときの解像度が高い状態であること
が大人になることだと思っている
他には以下のようなことを大人と呼ぶ場合がある
読んだのがだいぶ前なので述べたいこととあってないかもしれない ので あとで読む
大人であることと怖がることは別であるということが述べられている それはそうということもできるけど意図しないうちに自然と紐付いている 大人になれよ 大人だね 大人なのに などの言葉って何かしらの言葉が「大人」という言葉によって置き換えられているだけなのではないか 大人になれよは諦めろ区別をつけろ分別をつけろ冷静になれずるくあれ 大人だね落ち着いている好奇心がないつまらない反応に乏しい熱がない 大人なのにみっともないはしゃいでいる周りの大人とは違う怖がる そうすると大人の定義は 諦めることのできる分別をつけることができるずるい落ち着いた好奇心のないつまらない熱がないはしゃがない周りの大人と同じ になる そんなわけない 全部その人自身の一つ一つのものさしにするべき この人はホラーが苦手とか 熱い人だとか じゃあ大人って何 20歳を超えること? 体が大きいこと? 結局はさっきの定義に収束していくこと? あ 高い解像度を持っていることかもしれない 考えることができること その程度を平均にするとさっきの定義になるのかもしれない それをマニュアル化すると人に教えやすい大人になりやすい ジェネリック大人 人生解像度が高くなった瞬間もしくは過去の解像度の低さにびっくりして成長を感じる瞬間が一番楽しい なんのために生きているのかと言われると解像度の高い世界を見るためとすると一番いいのかもしれない 植物の名前とか種類とか全部知ってるとそのあたりの草を見たときでさえ面白く感じる時期もあると思う CGやってると影が青いことにも気づくしサビや汚れの法則性や光源にも気づくことができると思う 総括 ある集合の中で比較的見識が高い人がその中での大人であると言える 解像度を高くし続けるということ まだ、そこか~wをやり続けるゲーム 大人ならそんなことはしない いやする人も大人です こう考えていると世の中思ったより単純なのに難しく考えてしまうと思うけど 単純なのはまだ自分の解像度が低いのかもしれない モザイク処理された画像を見て全てを認識できないように単純にしか考えることができない あとで推敲してまとめる
今(2023.11.23)でも頭良くなりてーーとは思うもんなんだなと思った 確実に世の中の見てる解像度が違う 高校のときに頭いいクラスからそうじゃない方に降りたときにとっくにどうでも良くなったと思ってたけど コンプレックスでもあるかもしれん が、学歴をめちゃくちゃ気にしているわけではない 興味のある分野に絞ってadaptive subdivisionしないと人生ってめちゃくちゃ時間が足りん その点quizknockはコスパが良い Wikipediaを見るきっかけになる 反対に、色々なものに手を出してみるというのは逆に子どもらしさの印象を受ける 解像度を高めるための行動ではあるはずなのになぜ? 大人は手を動かすということをしない? というよりはそのあたりをほとんど子供の頃に触ってみた後の人というのが大人に見えるからかもしれない 中川圭一も全部やってるもんな 一生挑戦しないのは大人と正反対だ みっともないところを見せないことでジェネリック大人となる 「分かる」という言葉はイメージとしては物事AとBを分類するような意味合いから来ている
それはそのまま解像度を高めるということでもあり、Scrapboxにおける切り出しでもある