大人
大人になる・なれよというのはしばしば内包している要素が多すぎる デカい主語のそれと近い 個人的には、以下の状態が大人であると思っている
世の中を見るときの解像度が高い
多角的に思考できる
他には以下のようなことを大人と呼ぶ場合がある
ちゃんと喋れること
失敗しないこと
責任を持つこと
人とのコミュニケーションを適切な量取っていること
セックスができる状態であること
年齢を重ねた状態であること
状況によってはこれらは普通に相反する
反対に、色々なものに手を出してみるというのは逆に子どもらしさの印象を受ける
解像度を高めるための行動ではあるはずなのになぜ?
一生挑戦しないのは大人と正反対だと思う
大人は手を動かすということをしない?
そのあたりをほとんど子供の頃に触ってみた後の人というのが大人に見えるからかもしれない
失敗をしないのが大人だと思っている人もそこそこいるでしょう
失敗は子供のうちに全てやりきり、大人になってからは失敗するようなものにそもそも手を出さないほうが良いという認識の人
大人と言う言葉が出てくるシーンとそれに込められた意味を考える
大人になれ
諦めろ
区別をつけろ
分別をつけろ
冷静になれ
ムキになるな
ずるくあれ(?)
大人だね
落ち着いている
好奇心がない
つまらない
反応に乏しい
熱がない
大人なのに
みっともない
はしゃいでいる
周りの大人とは違う
怖がる
これらを踏まえると、大人の定義は「諦めることのできる、分別をつけることができる、ずるい、落ち着いた、好奇心のない、つまらない、熱がない、はしゃがない、周りの大人と同じ人間」になる
これが大人なわけがない
読んだのがだいぶ前なので述べたいこととあってないかもしれない ので あとで読む
大人であることと怖がることは別であるということが述べられている それはそうということもできるけど意図しないうちに自然と紐付いている 大人になれよ 大人だね 大人なのに などの言葉って何かしらの言葉が「大人」という言葉によって置き換えられているだけなのではないか 大人になれよは諦めろ区別をつけろ分別をつけろ冷静になれずるくあれ 大人だね落ち着いている好奇心がないつまらない反応に乏しい熱がない 大人なのにみっともないはしゃいでいる周りの大人とは違う怖がる そうすると大人の定義は 諦めることのできる分別をつけることができるずるい落ち着いた好奇心のないつまらない熱がないはしゃがない周りの大人と同じ になる そんなわけない 全部その人自身の一つ一つのものさしにするべき この人はホラーが苦手とか 熱い人だとか じゃあ大人って何 20歳を超えること? 体が大きいこと? 結局はさっきの定義に収束していくこと? あ 高い解像度を持っていることかもしれない 考えることができること その程度を平均にするとさっきの定義になるのかもしれない それをマニュアル化すると人に教えやすい大人になりやすい ジェネリック大人 人生解像度が高くなった瞬間もしくは過去の解像度の低さにびっくりして成長を感じる瞬間が一番楽しい なんのために生きているのかと言われると解像度の高い世界を見るためとすると一番いいのかもしれない 植物の名前とか種類とか全部知ってるとそのあたりの草を見たときでさえ面白く感じる時期もあると思う CGやってると影が青いことにも気づくしサビや汚れの法則性や光源にも気づくことができると思う 総括 ある集合の中で比較的見識が高い人がその中での大人であると言える 解像度を高くし続けるということ まだ、そこか~wをやり続けるゲーム 大人ならそんなことはしない いやする人も大人です こう考えていると世の中思ったより単純なのに難しく考えてしまうと思うけど 単純なのはまだ自分の解像度が低いのかもしれない モザイク処理された画像を見て全てを認識できないように単純にしか考えることができない あとで推敲してまとめる