もうすぐ消滅するという人間の翻訳について
もうすぐ消滅するという人間の翻訳について|平野暁人
答えを出したようにみえるのは言うまでもなく、
2023年初頭のChatGPT公開を皮切りとして世に放たれた生成AI翻訳である。
機械翻訳の進歩は多くの翻訳家の理解をとうに超えていたが
生成AI翻訳の普及は少なからぬ翻訳家に「それ」がほんとうの終わりを運んできたと実感させるに十分だった。
では、生成AIの登場で機械翻訳はついに「文学作品や漫画のような機微を問われる言葉の翻訳をも独力で精確に完遂できるほどに進化しきった」のだろうか。
むろんそんな事実はない。
自然言語処理に特化して設計され、自然さとしなやかさにおいてDeepLの仕事をも凌駕する訳文を一瞬で吐き出すChatGPTであっても、原文と付き合わせれば間違いはある。文が抜けることもままある。修飾語の勝手な省略や時制の単純化などに至っては看過できないほどの放埒ぶりだ。文体や文末形式の不統一による違和感は論を俟たず、その傾向はとりわけ日本語と英語のように構造の隔たった言語間において、長文になればなるほど顕著である。
現状の生成AI翻訳はどうみても完璧というには程遠く、依然として人間の翻訳を終わらせるだけの力をもたない。
それではなぜ、人間の翻訳は終わってゆくのだろうか。
それでもなぜ、人間の翻訳は終わってゆくのだろうか。
ほかでもなく、人間の側が翻訳に対する要求水準を下げ始めたからである。
人の目は生成AIが出力したものを美しく感じるようになる
美術系以外のことも含めて一般化したページが作成できる