バックパッカーを初めて1ヶ月がたったので振り返る
2024/07/01からバックパッカーを初めて1ヶ月が経ったので、所感をざっくりと振り返る。
孤独に苛まれる
内向的なのでそこまで苦労しないとは思っていたが、やはり近い距離に人間関係がないのは心理的に負担になる。
加えて自分が英語をそこまで喋れないというのも問題で、現地で人間関係を築くことが難しくなっている。4人以上のグループになるとネイティブの人たちが話す速度を落とさないのでほとんどの英語を聞き取ることができない。3人ぐらいになると自分にも会話のボールが渡ってくるので自然と合わせてくれようになる。
海外の人と会話をすることはバックパッカーにやりたいことでもあるので、チャレンジはしていく。しかし人数が多すぎるグループに入ると会話ができないので、自身を含めて3人以内に収まる場合に限定するとよさそうだ。
もちろん英語学習も続けていく。出国前にやっていた単語学習を再開し、洋書を読むというのもやろう。英会話アプリはお金がかかるというのと、ドミトリー生活となると存分に話せるスペースが確保できないのでやめる。
退屈に苛まれる
ボランティアをしている時に、ひどく退屈に苛まれた。田舎で特に娯楽もなく、そして話せる人もいなかった。業務をしている時間は良かったのだけどそれ以外の時間が苦痛で仕方がなかった。
同じ都市でも、1週間以上いると飽きてしまうのだろう。地域単位だと1ヶ月で飽きが来ると考えている。現時点で僕は欧州を早く出たいと考えている。国土の大きさにもよるが一旦はこのペースで移動を続けてみようと思う。長くいたいと思える場所と出会えることを期待している。
旅の中で培うのは難しいかもしれないが、習慣をいくつか身につけておきたい。例えば運動や読書、英語の勉強などがそれにあたる。食事についても身につけておくのが良いかもしれない。
苦労の方が多いが、それ自体は悪いことではない
喜びと同じくらい、辛い思いでも記憶に残る。喉元過ぎれば熱さを忘れるというように、苦労した思い出は美化されて残る。思い出したくない過去というのは勝手に忘れ去られる。今は確かに苦しい場面の方が多い気がしているが、この旅そのものは死ぬ前に必ず思い出すだろう。死ぬ前に残るのは思い出だけなので、その点を鑑みると僕は正しい経験をしていると思う。
長ければ良いというものではないので、旅自体にも効率性を求める必要がある
ボランティアで何もすることがなく、何も感じないままに散歩をしていた時、「僕は寿命を無駄遣いしている」と感じた。
旅に生産性を求めているわけではない。しかし26歳になってまで、無駄だと思える時間を過ごしたくはない。自分にとっての無駄な時間は「その時点でやりたいわけではない、かつ、今後の生活で利活用することができないことをしている」時間だ。
僕は1年間を旅の期間として見積もっていたが、もしかしたら半分程度の期間でも済んでしまうような気がしている。それ自体を悪いことと捉えてはいない。
動画投稿はかなりの時間を要する
企画→撮影→編集というサイクルを3週ほど回して動画を投稿していたが、途中で辞めてしまっている。
一番大きな理由としては膨大な時間を要するということだ。特に編集作業は1〜2営業日ほどかかる。そのうえで再生数がすぐ伸びるわけではないので短期的に見てコスパが悪い。長期的に見ても良いか判断しかねる。始めた別の理由としては思い出を綺麗にストレージするというものがあるが、この点でもコスパが悪い。撮った動画をフォルダわけするだけで十分だ。
次に、観光というものが撮影によって制限されるというのも難点だ。僕が見たいと思った景色を心から見れているわけではない。その景色に対してのコメントを考えたり、視聴者に向けて見やすいアングルなどを考慮して撮影を行わないといけない。結果的に肉眼で景色を見る時間が減っている。