真面目さの大部分は「面倒臭い」に支えられている
半分俺の自己分析だけど、真面目な人間の真面目さの大部分は「面倒臭い」に支えられているんだよな。規則を破るとバレた時に面倒だし、他人の言う事に異を唱えたら衝突が発生して面倒だし、会社をサボッたら翌日の仕事遅れや気不味さで面倒だし…換言すれば真面目は「最も楽でいられる」手段だというな でもそういう真面目さでは、理想が高いことは説明できない? 人よりもボロに気づきやすく、それを全て塞ごうとすると理想が高く見えてしまう?
自分でタスクの期限を前倒して設定し、これを守れる人も、「最も楽でいられる」らしいけど、真面目でも如何せんこれはハードル高いよな
.人間の不真面目さの大部分も「面倒臭い」に支えられている。規則を破るとどうなるか考えるの面倒だし、他人の言う事に異を唱えたらどうなるか考えるの面倒だし、会社をサボッたら翌日の仕事遅れや気不味さを考えるの面倒だし…真面目も不真面目も当人にとっては「最も楽でいられる」手段だというな
実際にどのタイプの人も一定数いることがそれを示している
利点がある代わりに欠点もそれぞれあるはず
欠点は受け入れるしかない?
緩和することはできるはず
ほかにも分類の軸はありそう
public.icon