偉業とか偉いの閾値
このような使い方
Aをした/villagepump/who1.icon
:igyo:.iconyosider.icon
解釈
1. Aを文字通り偉業と思って:igyo:.iconをつける 2. Aは文字通りの(一般的な意味での)偉業ではないとは思うが、「偉業の閾値」を下げて:igyo:.iconをつける 個人的には1を推したいyosider.icon
ある種の悟りの境地で、心の底からの愛と尊敬を込めてつけるスタンプ
が、常に悟れているわけではないので、悟り直す努力をして、それが実れば:igyo:.iconをつける
簡単そうに見えるけど、実は大変なんだということを理解し共感している
でもまあ……大小は無くはないよなぁ
偉業と思っていないなら、なぜ:igyo:.iconをつけようとするのか?
「偉業でないこと」はあるのか
そりゃあるだろうという気もするが、ない気もする
偉業を、カテゴリ(偉業 or not)と見るか、連続的な評価値と見るかの違い?
「偉業さ」という評価値があり、それに小さい閾値を入れて閾値を超えたら「偉業」に分類する
客観的に見れば、社会に与えたインパクトの大きさなどで偉業の度合いを測ることができるClaude.icon
ここで偉業に分類されたものを、心から偉業だと思っているか、評価値どおりに思っているかの違い?
偉業というラベルをつける意味とは
評価値maxの偉業と同じラベルをつけることで、同等のことをしたかのように錯覚する効果?
カテゴリ的に見ると閾値を下回るものは評価0になってしまう?が、連続的に見ると偉業さの小さいことも相応の評価を受けられる
ベクトルの違う偉業として、それぞれ別の偉業さがあるという捉え方をする?
ノルムの大小はあるが
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