場を整える。けれど、場を奪わない
3行で要約
ファシリテーションは、会議を時間通りに終わらせたり、人をうまく動かしたりすることだけではない
その場にいる人たちが、自分たちで考え、話し、決めていけるように、場の質を整える働き
ファシリテーターは、場を整える。けれど、場を奪わない
ファシリテーションの役割って?
ファシリテーションという言葉は、役割としてのファシリテーターも含めて、ずいぶん一般的に使われるようになりました。
一方で、ファシリテーションというものが少し誤解されているのではないかと思うことがあります。
1つの理解としては、ファシリテーターとは、会議を時間通りに終わらせる人、全員に平等に発言させる人、議論を脱線させない人、場を盛り上げる人、結論に向けてうまく誘導する人、といったものです。
時間を見ること
発言の偏りに気づくこと
議論がどこに向かっているのかを見立てること
結論が出ること
もちろん、これらがまったく不要だとは思いませんが、これらのみでファシリテーションを捉えると、かなり狭くなってしまうのではないかと思います。
これらは「進行管理」や「会議運営」に近いもので、ファシリテーションには、もう少し違う役割があると考えています。
ファシリテーターは、人を動かす人でも、正解を知っている人でもない
ファシリテーションを「人を動かす技術」として捉えると、少し危うさがあります。
誰かに発言させる
誰かを納得させる
議論を特定の方向に持っていく
結論を出させる
「操作」や「誘導」としてファシリテーションを使ってしまうと、その場や、そこにいる人たちの主体性を奪ってしまうことがあります。
ファシリテーターは正解を知っている人でもありません。そのトピックについて一番詳しい人でもなく、正しい答えに導く人でもありません。
多くの場合、そのテーマについて一番詳しいのは、その場にいる人たちです。
現場で起きていることを知っているのも、その人たちです。
何に困っていて、何に違和感があって、何を大事にしたいのかを持っているのも、その人たちです。
ファシリテーターは、その場にいる人たちが、自分たち自身の力で考え、感じ、話し、判断し、必要なら変化していけるように関わる存在です。
ファシリテーターが何かを「やらせる」のではなく、その場にいる人たちが、自分たちで動ける環境、状況を整えるのです。
私が学んできたファシリテーションは、そういうものです。
この意味で、ファシリテーターは「指揮者」というよりも「触媒」に近いのだと思います。
触媒は、自分自身が主役になるわけではなく、それがあることで反応が起きやすくなる。 本来その場にあったもの同士が出会い、反応し、変化しやすくなる。ファシリテーションも、それに近い働きなのだと思います。
目的は結論だけではなく、場の質を扱うことでもある
何かを決める場であれば、結論を出すことは大事です。時間を意識することも大事です。ただ、それを急ぎすぎるあまり、言いたかったことや扱うべき違和感を置き去りにしてしまうことがあります。一見うまくいった会議でも、残ったものが機能しないことがあるのはそのためです。
すべての場が「結論を出せば成功」というわけではなく、場によっては、すぐに結論を出すことよりも大事なことがあります。
これまで言えなかったことが言えるようになる
ぼんやりしていた違和感が言葉になる
対立している意見の背景が見えてくる
この場で本当に扱うべき問いが見えてくる
こういうことも、その場にとっては大きな前進です。
ファシリテーションは「結論の質」だけを扱うものではなく、「場の質」を扱うものでもあります。
場の質とは、単に雰囲気がよいとか、みんなが楽しく話せているということではなく、その場にいる人たちが、必要なことを、必要な深さで扱える状態に近づいているかといったことです。
言いにくいことが、必要なら場に出せ、沈黙が考える時間として扱われ、まだ出ていないものを、お互いに助け合いながら引っ張り出せる。
そういう場に近づいているかが、場の質だと思います。
ファシリテーターは、場を感じながら、場に影響を与えている
以前、ファシリテーションの師匠の一人に言われて、印象に残っている言葉があります。
「終わったあとに喉が渇いているなら、それはしゃべりすぎ、介入しすぎかもしれない」
ファシリテーターは、場を埋めるためにしゃべる人ではありません。沈黙が怖いからしゃべる人でもありません。わかりやすくまとめ続ける人でもありません。
むしろ、ファシリテーターはかなりの時間を「感知すること」に使っているんじゃないかなと思います。
誰がまだ言葉にできていないのか
いま場に緊張があるのか、退屈があるのか
表面的には同意しているが、本当に納得しているのか
議論が進んでいるようで、実は大事な論点を避けていないか
いま介入した方がいいのか、もう少し待った方がいいのか
ファシリテーターはしゃべっていなくても、そういうことを、見て、聞いて、感じています。
むしろ、しゃべっていない時間にこそ働いている、とも言えます。
ただし、ファシリテーターは場の外側から客観的に見ているだけの存在ではありません。ファシリテーター自身も、その場の一部です。
座る場所、その姿勢、雰囲気、といった一つひとつが、場に影響を与えることもあります。
ただ見ているつもりでも、見ているということ自体が、すでに場に影響しています。ファシリテーターは、場を観察していると同時に、自分もその場に作用している存在です。
だからこそ、ファシリテーターは「自分が場にどんな影響を与えているのか」に自覚的である必要があります。
もちろん、必要なときには介入します。
問いを置く
いま起きていることを言語化する
論点を一度見える形にする
早すぎる合意にブレーキをかける
少数意見が消えそうなときに拾う
話し合いの前提を問い直す
いま決めるべきか、考え続けるべきかを確認する
ただし、それは場を自分の思う方向に動かすためのものではなく、その場にいる人たちが、自分たちで扱うべきものを扱えるようにするためのものです。
ファシリテーターが頑張りすぎると、場を奪うことがある
ファシリテーターが頑張りすぎると、場はきれいに進むことがあります。
その結果、一見すると「うまくいった会議」に見えることがあります。
ただ、その場にいた人たちは、本当に「自分たちで考えた」「自分たちで決めた」「自分たちで進んだ」という感覚を持てているでしょうか。
ここが失われると、ファシリテーションはうまくいったようで、実は場の力を奪っている可能性があります。
問いを出しすぎる
整理しすぎる
先回りしてまとめすぎる
誰かが言葉にしようとしている途中で、代わりに言ってしまう
沈黙を待てずに、すぐに次の問いを置いてしまう
こうしたことも、場を奪うことにつながります。特に気をつけたいのは、言い換えです。
相手が使った言葉をそのまま拾うことは、場にとって助けになることがあります。一方で、「要するに、あなたの言いたいことはこういうことですよね」と、ファシリテーターがきれいに言い換えすぎると、その人が言いたかったことの質感が変わってしまうことがあります。
言葉は、単なる情報ではありません。 その人の迷いや違和感や温度も含んでいます。
それをファシリテーターが早く整えすぎると、たしかにわかりやすくはなるかもしれません。でも、その人の言葉ではなくなってしまうことがあります。
場を整えるが、場を奪わない
ファシリテーションには、たしかに様々な技術があります。
時間の使い方
問いの立て方
発言の拾い方
論点の整理
合意形成の進め方
可視化の仕方
これらの技術は、場をコントロールするためにあるのではなく、場にいる人たちが、その場を自分たちのものとして扱えるようにするためにあるのだと思います。
ファシリテーションとは、会議を予定通りに進めることだけではありません。みんなに平等に話してもらうことだけでもありません。ましてや、参加者をうまく誘導して、あらかじめ決めていた結論に連れていくことでもありません。
ファシリテーションとは、その場にいる人たちが、自分たちで感じ、考え、話し、決めていけるように、場の質を整える働きです。
ファシリテーターは、場を整える。けれど、場を奪わない。この感覚が、とても大事なのではないでしょうか。