実験化学
ひじょうに古い伝統をもったこのような書斎化学に対して、実験化学がおこってきたのはきわめて新しい。幾人かのすぐれた先駆者たちの胎動を省いていえば、実験化学は西欧社会の近代化の始まりとともにおこってきたものである。その実験化学は、実際に現実界のものに触れて、観察したことを重要な拠りどころにする。すなわち経験化学的な面をもっている。このような実験科学は書斎化学の人びとからみれば、はじめのうちは学問というには値しないかのように蔑まれさえしたのである。ものを観察するなどということは下品なことだった。また、子どもだましのような単純なことと思われた。それは形而下的な問題であり、それを実験したりして喜んでいるのは、子どもくさい話であるという雰囲気であった。あるいは、いかがわしい錬金術師くずれとも思われただろう。ヨーロッパ、たとえば英国のどこかの古い大学にでもゆくと、学問は書斎化学が本物だというムードがいまでもすこしはただよっている世界があると思う。
実験科学の世界は、このようにばかにされながらスタートを切ったとしても、たくましく成長していった。そのあげく、今日では、化学といえばすなわち実験科学、という印象すら社会に与えている。たいへんな社会的信用を得るにいたった。
実験化学が信用を得たゆえんは、なんといっても「ほんとうかどうか」を試すという、一種の実践的性格をもっていることだと思う。書斎化学のいうことはほんとうかどうか、決め手がない。しかし実験科学には決め手がある。試すのだ。文字どおり実験という言葉が、それを意味している。また、働く場所からいっても、書斎化学が主として書斎のなかで行われるのに対して、実験化学の典型的な仕事場は、やはり実験室という相違がある。
おれに対して書斎化学の書斎には万巻の書が積まれ、それはこの化学が過去の文献的情報に大きく依存していることを表しているのでる。こうして、実験科学が開拓した大きな成果は、ある一つの仮説がほんとうかどうかを実験してたしかめる点にある。一言でいうなら、実験科学の方法の核心は、仮説検証的なのである。じっさいには実験室内でも、仮説検証的であるばかりでなく、その仮説を発送せしめるための観察を目的とした活動が行われることもある。しかしながら、そのような活動は、じつは次にのべる野外化学的方法が、たまたま実験室に侵入しているのにすぎない。典型的な意味での実験科学は、やはり、実際にそうであるかどうか、実験装置をつくって仮説の指し示すところを観察し、その結果によって仮説を検証するところにある。
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これに対して実験室的自然は、ありのままの自然のなかから、操作を加えて人工的自然を作ることである。
スタートアップはまさにマーケット(市場)を大事にするが、ありのままの自然とは言い難い。
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また、実験室のなかで研究対象になる自然は、なんども繰り返して再現することができる。反復が可能である。すくなくとも研究目的に対しては、反復が可能として扱ってよい。それに対して野外的自然は一回性を帯びている。