不思議メモ帳
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石田 英敬:不思議メモ帳をモデルとした心の装置とはどのようなものかを説明しましょう。 まず表面にある透明なセルロイド板は、尖筆で書き込む入力の圧力を受け止めて、外部刺激からの「保護」の役割を果たしています。フロイトは、心にも、この板のように、刺激がすべて入ってくることを阻止するものがあると考えます。つまり、刺激のエネルギーをすべて受け止めると、人間の生物学的なキャパシティを超えてしまうので、エネルギーを外に押し出そうとする。なるべくエネルギーを入れないようにするのが、人間の心の状態だというエネルギー則を、フロイトは考えているわけです。 セルロイド板の下にはじっさいに文字が浮かぶ薄いパラフィン紙があります。フロイトは、ここを、入力が文字や絵として表象化される「知覚 - 意識」の層にあたると考えました。文字通り、事物を知覚したり、意識化したりする層です。
さらにその下にあるワックスでできている蝋板は、痕跡が「記憶」として貯蔵される「無意識」の層にたとえられる。つまり、つぎつぎと書き込まれるものの痕跡を記憶としてどんどん溜め込んでいき、無意識というものを作り出していくわけです。『新記号論』、p103 不思議のメモ帳では、受容された記載事項の持続的痕跡は活用されないけれども、何も戸惑うことはない。そのような痕跡が現存するというだけで充分である。そのおゆな補助装置とその手本となる器官とを類比させてみても、いずれは限界に突き当たらざるをえない。また、不思議のメモ帳は、一度消去されてしまった文字をその内部から「再生する」などということもできない。万が一、われわれの記憶と同じ再生能力を有するのなら、それこそ真に不思議のメモ帳と呼ぶに値しよう。『フロイト全集18』、322p ここで述べられているように、不思議メモ帳は、いちど下に書き込まれて溜まっていったものを呼び戻すことはできない。書かれたものは一方的に溜まっていくだけです。それに対して心は、思い出す、記憶を再生することができる。この点が不思議メモ帳という比喩の限界だとフロイトは考えているわけです。
ところが、iPadにはそれができます。フロイトの説を延長するなら、現代人は、iPadのような完璧な「心の装置」の補助具携えて、つねにメディアに結びつき生活していることになります。
われわれは外部世界からの刺激情報をメディア端末を通して受け取り、意識にとどめて表象を生み出しては、記憶の層へ次々に送り込んでいる。現代人の「知覚 - 意識」に現れる現象は、心の装置の蝋板へと送り込まれると同時に、コンピュータやサーバーのメモリーに送り込まれて蓄積され、それぞれおの記憶の層から呼び出されたり消去されたりしつづけているわけです。『新記号論』、p105