アラン・ケイやダイナブックにまつわる誤解
史上初の本格的GUIを備えたとして知られるAltoだが、特に“Alto OS”と呼ばれる専用のGUI OSがあったわけではない。PARC内外ではAlto向けに、互いに見た目や操作の異なる多数のGUI環境・GUIアプリが開発されていた。その中で特に先行し、後続に多岐に渡る影響を及ぼしたのがケイらの暫定ダイナブック、すなわちSmalltalk環境で、実際、MacやWin、そしてUNIXのGUI環境の起源に関する記述でAltoが引き合いに出された場合、それは当時のSmalltalk環境を意味していることが多い。言及者がSmalltalkを単なるプログラミング言語として狭く捉えていたり、その誕生の歴史的経緯(コンセプトとしての「ダイナブック」、暫定環境としての「Smalltalk」、暫定ハードとしての「Alto」の相互関係)をよく調べずに書いたあいまいな記述が世に氾濫しているため、さも“Alto OS”のようなものが存在するかのような誤ったイメージが定着してしまった。
ケイはプログラミングもするが、主だってはアイデアパーソンである。Altoの製作にはチャック・サッカーという天才エンジニアの、Smalltalk開発にはダン・インガルス、アデル・ゴールドバーグを筆頭とした天才プログラマらの関与が不可欠であり、ケイがすべてを(短期間で)実現したかのような記述は原則として誤り。短期間であることがことさらに強調されることが多いのは、Alto初号機の製作期間が仲間うちの“賭け”の対象となっていて、実際それが約3か月強で成し遂げられたこと、あるいはケイの「オブジェクトへのメッセージ送信」というアイデアをダン・インガルスがわずか数日で実装してみせたこと(これが、Smalltalkのプロトタイプとなった。ちなみに、この時に使われたのはBASIC)を混同しているものと思われる。