1と2の間で
これはサード・プレイスを読んで最初に気づいたことだが、私たちが真剣に向き合わなければならないのは、ファーストとセカンド、つまり、家と職場の問題だと気付かされる。 今、こうして、scrapboxを更新してしまえば、slackに通知が飛んでしまい、我々はGWという素晴らしい"家"の時間が、邪魔をされてしまう。なんてひどい人間だと我ながらにおもう。本当にやってはいけない行為だとはわかっているが、考えがまとまったので、書かずにはいられない。 我々はいつでも仕事ができてしまう、苦しみを抱えた部族だ。本当ならば、家ならば家という空間でしかできないことに集中するべきだろう。そういう意味では、ワーケーションという言葉は複雑だ。ハワイにいてもGithubを操作しているならば、異変に気づくだろうか。 異論もあるだろう、「職場で仕事をするぐらいならばハワイで仕事ができるなんて、素晴らしいだろう!」
ワーケーションを好意的に解釈をするならば、そういうことになる。これは間違った考えた方だとはおもわないし、わたしたちもオフィスから離れて合宿をおこなう。職場だけが仕事をする空間でもないし、綺麗に分かれている必要もない。
つまり、場所にとらわれないことは素晴らしいけれど、いつでも仕事に囚われているのは不幸ではないだろうか。しかし、スタートアップである我々は、常に仕事を考えるさだめにある。そもそも、スタートアップじゃなくてもふとした瞬間に仕事のことが頭をよぎることはあるだろう。完全に分離することは土台無理である。
グラデーションのようになっているのだと考えることは自然であるが、それは思考を放棄するのと一緒である。
我々の業界はこの本(というよりも、サードスペイスという言葉)が好きなひとが多い。おそらく、コミュニティの議論をするうえで、求められた概念だったのだろう。
ぼんやりとした表現になってしまうが、ちゃんと読んでいる人とあまり出会ったことがないのと、昨今ではコミュニティの重要性を説いている人にもめっきり会わなくなった。水のことを最も知らないのは魚だという逸話を思い出す。わたしたちにとっての"水”である、バーチャル空間とオフィス、仕事、家の問題について向き合う必要がある。
ここで考えるべきは、職場は仕事をする上で最適な空間なのだろうか?
家で行うべきは休息だ、超回復は脳にも効くだろう。ファースト・プレイスが意識にないことの問題は、疲れきったまま筋トレをおこなっているようなものだろう