生命を象る力の探索
概要
現在、地球上には複雑な生態系が隅々まで展開し、多種多様な生命システムが稼働している。それらはみな、およそ38億年前に出現した最初の生命の子孫である。生命システムは、明確な自己境界を持ち、自己を複製する能力を備え、しかもその複製は完璧ではなく、複製の都度、わずかずつ変異を蓄積していく。その結果、個々の生物個体は異なるデザインを持ち、生活する環境下でより効率的に自己複製できる生命システムが徐々にコピーを増やし、数の上で支配的になっていく。このダーウィン進化のプロセスを延々と蓄積した果てに、現在の地球上に存在する多種多彩で複雑な生命システムがある。
私の関心は、この世界の複雑な生態系を構成する生命システムは、どのようにして「他ではないこの」デザインに到達したのか——にある。
この問題に取り組むための基本的な枠組みとして、生化学者 Christian de Duve が提案した生命システムにみられるシンギュラリティの分類を採用する。de Duveのシンギュラリティは、生命システムにみられる特異的なデザインの由来を①決定論的必然、②制限的ボトルネック、③選択的ボトルネック、④擬似ボトルネック、⑤凍結した偶然、⑥驚異的な幸運、⑦インテリジェント・デザイン、の7つに分類する。ここから本質的でない④と自然科学で取り扱えない⑦を除外し、残る類型を検討すると、ある生命システムは、普遍的な物理化学法則(①)を背景に、現在のデザインに由来する内的拘束(②)と、生活環境に由来する自然選択圧(③)の双方を満たす領域内に存在し、偶発的な要素として⑤⑥を内包する場合がある——と整理できる。
これを踏まえ、作業仮説「対象とした生命システムのデザインは、制限的ボトルネックによって絞りこまれた可能なデザイン群の中から、選択的ボトルネックによって、現在のデザインへと帰着した」を設定し、対象とする実際の生命システムが「他のデザイン」を差しおいて「このデザイン」へと到達した、進化上の歴史的変遷の一端を解明することをめざす。
進化的な競争によってすでに絶滅して失われた「他のデザイン」に関する情報はほとんど手に入らない。そこで、現存するデザインを数理モデル化し、これを基点として数理モデルに変異を加え「可能なデザイン」の数理モデル群を構築する。ダーウィン進化で直接競争する相手は、相互に似通った「同胞」たちでなので、この方法で作成する可能なデザインは、現在のデザインが直近に競合し排除した「他のデザイン」と重複するといえる。
こうして作成した多数の数理モデルのすべてについて数値シミュレーションを実行し、それぞれの機能を計算する。その結果から、実際に生き抜いたデザインが、その他の可能なデザインに対して有利に生き抜ける状況(選択的ボトルネック)を推定し、作業仮説の採否を検討する。具体的な研究対象として以下の2つの生命システムを選び、それぞれ数理モデルを構築して数値シミュレーションを利用した研究を実施した。
肝臓における窒素代謝の臓器内の空間的なデザインの制御
肝臓は、肝小葉と呼ばれる直径1ミリ程度の構造を要素単位とする超並列装置であり、肝小葉より上位(巨視的)の構造がほぼ均質な並列装置である代わりに、肝小葉内に、肝内代謝の不均質性のすべてが凝縮されている。肝小葉には、流入部位と流出部位という非対称性があるため、必然的に空間的な不均質性を伴うが、これに加えて、位置特異的な遺伝子発現制御が存在し、それらの総和として、matabolic zonation と呼ばれる代謝動態の空間的不均質性が観察される。
これが、選択的ボトルネックによって洗練されたものであるなら、空間的制御がもたらした適応度上の利得を示すことができるはずである。そこで、肝臓の代謝経路の中でも生命維持にとって重要でエネルギー消費も大きい窒素代謝に着目し、その数理モデルを構築して、空間的な遺伝子発現制御の付加によって肝小葉の窒素代謝にもたらされている利得が何であるか検討した。その結果、3つの主要な遺伝子について、実際の肝臓にみられる空間的遺伝子発現制御が、窒素代謝のエネルギー効率の向上をもたらしていることが示唆された。ここから、肝小葉にみられる空間的遺伝子発現制御が、エネルギー効率を実体とする選択的ボトルネックによって現在のデザインに到達したとの推論を得られた。
心臓を構成する心筋細胞の発生過程における時間的なデザインの制御
心臓を構成する心筋細胞は、偶発的な一時停止が個体の死に直結するクリティカル・タスクを担っている。にもかかわらず、胎生初期に拍動を開始してから、発達して成体に至るまでの時間経過上、その収縮能を産みだすデザインは目まぐるしく変化する。個体死に直結する機能の担っているにも関わらず、なぜ多くのデザインを渡り歩くような危険を冒すのか。また、心筋細胞の基本設計から派生するデザイン群は、その多くが安全なのか、それとも、とりわけ安全なデザインを選んで遷移するように緻密に制御されているのか——これらの疑問を検討するために、心筋細胞の発生過程を数理モデル化し、心筋細胞が取りうる可能なデザインを500以上つくりだして、その機能を計算し、比較検討した。
その結果、現実の心筋細胞のデザインのごく近傍に、拍動の停止など致死的な機能欠損をきたすデザインが存在することが示唆された。実際の細胞には、それら不適切なデザインを避け、安全にデザインを遷移できる遺伝子発現制御が進化してきたと考えられる。
これらの試みを通して、それぞれの生命システムについて、これまでとは異なる視点からその生命システムの特性の一端を解明し、記載することができた。
私が、デザイン——設計という観点から生命システムを眺めることに拘る理由は、人間が合目的性を感じとることができる事物のなかで、生命は唯一、人間によるデザインの産物ではないからである。こうした研究を積み重ねたその先に、人間が到達し得ない、優劣の議論すら不可能な異質なデザインの系譜を見いだし、その一端であれ理解し、前進したいと切望している。