幸せにルールはない
ひとりひとりがどうやって幸せになるかは、ひとりひとりの問題。どうやって幸せになるかには、既定のルートなんかなく、自分で試行錯誤するしかない。
ルールはないが、制約はある。生まれた時代、国、家庭、能力……ありとあらゆる要素は制約となって、ひとりひとりが望めば何にだってなれるわけじゃない。世界は公平になんかできていない。
でもそれは、制約であってルールではない。
がんじがらめの制約の中で、いかにして幸せになるかは、ひとりひとりに委ねられている。
気づいて、一歩踏みだせば、以外と自由だ、この世界は。
ぼくは科学者として生きていきたいと願ってきた。
転機になったのは、大先輩の同僚からかけられた「君は、科学、科学と、科学に拘っているが、科学じゃなくても学問になることはあるだろう」というひとこと。
その言葉で、30代半ばにして世界がひっくり返った。
子どものころ憧れていた「科学者」と、その当時のぼくの中の「科学者」の定義が、すっかり乖離してしまっていることに気づかされた。
「業界」が定義する、構成員としての「科学者」の定義に、ぼくが憧れていた「科学者」像はすっかり塗りつぶされていた。
気がつけば、元のレールに乗り換えるのは簡単だ。
ただ、ぼくが決めた「科学者」は、「業界」が定義する「常識的」な「科学者」とは全然違う。
なので、いろいろと不都合や齟齬が生じるのは間違いない。
でもね、いいじゃん。
なりたくもない「科学者」でいるより、自分のなりたかった「科学者」になった方が幸せに決まっている。
さて「業界」というのは「標準化団体」でもあるので、大多数の大学や研究機関は「業界標準」に則って稼働している。そうした機関に『ぼくのなりたかった「科学者」』などという幼い行動原理でふるまう人間に与える椅子は用意されていない。
幸運にも、SFCは、そんな椅子が用意される(こともある)場所だった。
というか、むしろSFCによって、ぼくは背中を押されたのだ。「業界の常識」「業界の呪縛」に「君は自ら選んで囚われているのかい?」と質してくれた。感謝しかない。
さて、ぼくはSFCの教員として、楽しみながら、大きく貢献してきたという自負がある。
一方で、自分のなりたかった「科学者」になれたのかといえば、全然そんなことはない。
「業界」の定義とは全然違う、身勝手で無手勝流の、ぼくがなりたかった「科学者」になれるかどうかは、まだこれからだ。
「業界」のルールに照らして、ぼくを「間違っている」と判定する人に異論はない。確かに、そのルールに照らせば、ぼくは間違っている。でも、ぼくはそもそもそのルールに則って生きるとはひとことも言っていないし、そのつもりもない。また、「業界」の活動に参加するときには、ちゃんとルールを守っている。そのルールが間違っているとも思っていないし、かなり合理的だとすら思っている。現代文明の礎のかなりの割合を築きあげたのも、その「業界」とそのルールであるといっても過言ではないと信じている。人類が編みだした活動の中で、これほど知的かつ生産的な「業界」は他にないだろう。
すばらしいと思うし、実際、毎年 14回の授業を通じてその歴史を絶賛する話をしたりしている。
ただ、自分がそのシキタリに従って生きるのか、という選択をしなければならないのなら、ぼくのシュミではない、ということ。ぼくがなりたい「科学者」は、その「科学者」ではない、というそれだけのこと。
いったん生まれてきて、死ぬまでに何をめざすのかといえば、幸せになることしかない。
何が幸せかは人それぞれ。
何に染まって、何に染まらないかは、自分で選べばいいと思う。
その結果、そんな自分に居場所が与えられるかどうかはわからないのだけれど。