「性別の炭鉱のカナリア」を超えて: 脱性別移行(detransition)のトランスフェミニスト的アプローチ
#論文紹介
原題:More than ‘canaries in the gender coal mine’: A transfeminist approach to research on detransition
著者:Rowan Hildebrand-Chupp (UCSの博士候補生らしい)
論文リンク:https://doi.org/10.1177/0038026120934694
どんな論文?
「脱性別移行(detransition)」をする人々に対する研究・アプローチをどのように組み立てるべきか、という点について考察した論文。
本稿は、「脱性別移行(detransition)」を捉える2つのものの見方(「脱性別移行を防ぐ」アプローチと「脱性別移行を支援する」アプローチ)を提示する
炭鉱のカナリア:危険の前兆を知らせる犠牲者のこと(炭鉱の採掘時に吹き出す有毒なガス中毒を察知するために炭鉱にカナリアを設置して、カナリアが死んだら危険と判断する)。
つまり性別の炭鉱のカナリアとは「脱移行移行者」を性別移行が持つリスクの犠牲者としてみなすアプローチのことをさす
「脱性別移行を防ぐ」アプローチの研究は、脱性別移行をあってはいけない(予防すべき)否定的な臨床的帰結・リスクとみなす。
脱性別移行がおこる「原因」や「割合」に焦点を当てるが、現実にいる脱性別移行者を支援する方向には向かない。
他方で「脱性別移行を支援する」アプローチの研究は、脱性別移行を社会的排除の問題とみなす。
このアプローチは脱性別移行の経験やプロセス自体に焦点を当て、脱性別移行者の医療やメンタルヘルスの改善に関する知見を提供する。
論文著者は、後者のアプローチの研究の不足と、そのような質的社会学的な研究が急務だと主張する。
なぜ重要?
しばしば、性別移行、特に医学的な性別移行については、いわゆる「治療の後悔」や「安易に変えて、後悔する」みたいな物語の犠牲者が登場することがある(バックラッシュ運動においても顕著)。しかし、この物語は脱性別移行をあってはいけない間違いであることを勝手に前提としてしまっている。
この発想は医学上の訴訟リスクを回避するために、医学コミュニティの自衛的な側面から発生した(cf. Velocci, 2021)が、今もなお影響を与えている(日本における状況は博論で出すから待ってネ)
しかしそれでは当事者の本当の経験やニーズは全く顧みられない(脱性別移行者の支援に結びつかない)し、性別移行者を「本物なのか」「絶対に後悔しないのか」という疑いの眼差しでみるような視点に結びつく(性別移行者の支援にも悪影響がある)。
本稿で説明されるように、「脱性別移行」をすることは必ずしも「後悔」には結びつかないし、「後悔」といってもいろんなタイプの後悔がある(身体を変えたこと自体の後悔とも限らない)
本論文は、この前提をきちんと捉え直して、現実にいる脱性別移行者の実態理解や、その人たちを固有の医学的・心理的・法的サポートが必要な人々として捉えていくことの重要性を示す重要な指摘を行っている。
本論文は、あくまで脱性別移行の研究に対する提言ではある。でも、指摘された内容は研究だけではなく脱性別移行を理解するための価値判断や理解枠組みの根本を提唱しているため、研究を超えて重要だと思う
個人的には、脱性別移行もガイドラインに組み込んだ方がいいと思う。医学的にどんなことができて、何を気をつけるか、みたいなことをまとめる形で
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引用1
脱性別移行した女性が本当に欲しいもの:
1.テストステロンを止める1番安全な方法についての研究
2.似合う服
3.代名詞を聞かれた時の最初の答えを人々が信じてくれること
4.より良いピアサポートのネットワーク
5. トランスのコミュニティが安全な場所であること
6. 普遍的なヘルスケア。無料のセラピー、無料の手術、無料の回復、無料の医療、無料の救急、無料でアクセス可能であらゆる人のための(ケア)。
7. 学生ローンの免除 (Freack, 2019)
引用2
言論の自由と生物学的性別は重要なので寄付します。脱性別移行者は性別の炭鉱のカナリアです。かれらの声は聞かれなければいけない。
上の2つの引用は、脱性別移行に関する2つの異なるアプローチを示している
前者は脱性別移行をした女性のブログ記事。これは彼女自身の希望を表している。
後者はJames Caspian(脱性別移行についての研究をしていた修士学生)への匿名の寄付者に対するメッセージである。「性別の炭鉱のカナリア」とは、性別移行の医療を医療ないし社会の「リスク」であることを示唆している
前者のアプローチは、脱性別移行者の人たちにとって助けになることを探すためのアプローチになるが、後者のアプローチは、脱性別移行者が存在することは悪いことで予防されなければならないという理解を前提としている
本稿は、「脱性別移行を防ぐ」と「脱性別移行を支援する」という2つの目標の違いを説明し、脱性別移行に関する研究の未来について考える。
目次
1. まず行為としての「脱性別移行行為(detransitioning)」、アイデンティティとしての「脱性別移行者(detransitioner)」、そして「否定的な移行の経験(negative transition experience; NTE)」を区別する
2. 次に脱性別移行に関する研究は必然的に価値観に左右される政治的なものとなることを説明する
3. 性別移行の後悔に関する研究と、脱性別移行者の当事者研究を含む、関連する文献のレビューを行う
4. 「脱性別移行を防ぐ」研究と「脱性別移行を支援する」研究の違いについて説明する
5. 今後の脱性別移行研究についての提言を行う
1. 脱性別移行の概念化
「脱性別移行(detransition)」は、1.「脱性別移行行為(detransitioning)」(観察可能な行為)、2.「脱性別移行者(detransitioner)」(アイデンティティおよびラベル)、そして3.「否定的な性別移行の経験(negative transition experience; NTE)」(脱性別移行に付随しうる主観的な経験)に分節化できる。
「脱性別移行(detransition)」は、移行前の状態に何らかの形で戻ることを指す(訳註:英語では動詞なので、「する」をつけるのが正確だが、読みやすさと用語統一から名詞にした)
医学的な移行(ホルモン剤の服用の中止やホルモンレベルを移行前の状態に戻す、二次性徴の変化を防ぐ、特定の変化を逆転させる別のホルモン剤の服用、外科手術など)や、社会的な移行(移行前に使用した代名詞や名前に戻す、性別表示を変えるなど)からなる。ただし全てを行うわけでもなく、脱性別移行の仕方は個人によって様々
「再性別移行(retransition)」(以前のある時点で性別移行をした後、また別の性別に移行する行為・プロセスを指す)という言葉が使われることもある
「脱性別移行者」は、「脱性別移行」の経験を理解する方法、アイデンティティ、コミュニティを指す。
「脱性別移行者の女性(detransitioned woman)」は、a.出生時の割り当て性別が女性で、b.ある時点で男性、ノンバイナリー、クィア、トランスマスキュリンなどと自認したあと、c.その後のある時点で(脱性別移行をした)女性であると自認する、あるいは少なくとも受容するようになったことを意味する。
なお、脱性別移行と「脱性別移行者」としてのアイデンティティは必ずしも結びつかない。つまり、トランスの女性が(一時的に)ホルモンを中止することは、技術的には脱性別移行かもしれないが「脱性別移行者」とはならない
脱性別移行者の中には、「脱性別移行」と「再-自認(reidentified)」を区別する人もいる(前者は医学的な移行を含むが、後者は社会的・心理的な側面に着目する)
なお、「離脱者(desister)」という用語も脱性別移行者のコミュニティで使われることがある(子どもや青少年の頃にトランスジェンダーであると認識し、その後トランスジェンダーであることをやめた人々を指す言葉)が、この用語は臨床研究由来で、アイデンティティを指す言葉としては比較的まれ。
アイデンティティと行為を分けるという視点から、脱性別移行(という行為)をした人のことは「脱性別移行をした人々(people who have detransitioned)」と呼ぶ
医学的な「脱性別移行をした人々」の中には、1.合併症のため、2.一定期間ホルモン剤を服用することで長く続く効果を望んだため(声変わりと髭だけが欲しい、など)、3.妊娠を希望したため、4.二元的な移行をしていたが、途中で非二元的な性別を自認したため、5.「脱性別移行者」と自認するに至ったため、6.性別移行関連のケアを一時的に受けられない環境になったため、など様々な理由がある
筆者は、自分自身の性別移行やその一部分に対するネガティブな主観的評価をNTEという用語で捉える
NTEは身体、心理、経済、社会的な、性別移行に伴う様々な側面と関連して存在する。また、時間の経過とともに、NTEは出現したり、沈静化したり、変化したりする。
NTEに関する研究はしばしば「後悔」や「不満」をNTEの要素として挙げるが、主観的な経験的研究は「悲嘆(grief)」が最も重要な側面であると述べている(e.g. crashchaoscats, 2016)
NTEと脱性別移行行為、脱性別移行者(アイデンティティ)は異なる概念で、区別することが非常に重要である
この3つの概念を含めた包括的な現象として、「脱性別移行」を使用する
2.理論的背景
脱性別移行を研究をする際には、価値中立的かつ非政治的な方法は存在しない。どんなアプローチにおいても一定の目的と絡みあってしまう
研究者は(制度的な制約の中で)どんなトピックを研究すべきか、どのような問題が最も重要かといった論点について、価値観を下さなければならない
脱性別移行の経験的研究は少数であるため、研究者一人一人の方向性はとりわけ重要である
(簡単にいうと)どのようなリサーチクエスチョンに取り組むかによって、研究のデザイン(どのような質問をするか等)や研究が提供する知見を制約してしまう
フェミニズム科学哲学は、研究の目標は研究の構想・実施・評価の方法の中に埋め込まれていると主張している
研究は、その結果得られる知見を何に役立てたいかという概念から切り離すことはできない (Longino, 2013, p.143)
Emi Koyamaの『トランスフェミニスト宣言』は、研究のアプローチを考える上での出発点になる
原則1.「各個人には、自分自身のアイデンティティを定義し、それを社会が尊重することを期待する権利がある」
帰結:「脱性別移行をした人」が、どんなアイデンティティを持っているか、持っていたかは本人に尋ねる必要がある
原則2. 「私たちは、自分自身の身体について唯一決定する権利を持っていて、いかなる政治的、医学的、宗教的権威も、私たちの意思に反して私たちの身体の完全性(body autonomy)を侵害したり、私たちが身体を使って何をするかについての決定を妨げてはならない」(訳註:いわゆる「私の身体は私が決める」)
帰結:研究者は、性別移行や脱性別移行についての決定を外部から制約することを正当化する研究に懐疑的である必要がある
(訳註:要するに「後悔するから本当に後悔しないか見極める」みたいな発想に基づく研究は疑え、ということ)
Finn Enkeは、「シスジェンダー」という用語は「二項対立だが、シスとトランスは機能的に等価でも並列でもない」(2012, p.76)と指摘する
(訳註:Enkeの議論によれば、シス性はトランス性の否定で定義されており、シスであることは無徴・デフォルトであること(何も言わなければシスになってしまう))
筆者は、シス/トランスの二項対立的理解では、脱性別移行者ははざまに置かれてしまうと主張する
「脱性別移行をした人々」は、(本人が明示的にトランスと自認している場合はのぞき)トランスとは異なる
他方、シスジェンダーとみなすと、性別移行や脱性別移行の経験や歴史を消し去ってしまう
Cameron Awkward-Richのアプローチを援用したい:「かれら(ここでは「脱性別移行をした人々」)はここにおり、私たちはそれとどう折り合いをつけるかを考えなければいけない」
3.脱性別移行に関する文献
脱性別移行に関する研究はほとんどないが、既存研究は脱性別移行を避けるべき否定的な結果とみなし、脱性別移行の割合やNTEに関する問題を研究してきた
ほとんどは「手術の後悔」と「離脱(desistance)」についての検討である。しかし「手術の後悔」は、NTEを測定したものもあればや医療プロセスからの離脱率を測定したものなど、まちまち
一連の研究は、性別適合手術後の脱性別移行率が低い(e.g. Dhejne et al., 2014)と示唆する。しかしホルモン治療に関するデータはほとんどない。
脱性別移行者のコミュニティに関する研究は、コミュニティ内部の非公式な調査しかない
性別移行の後悔
脱性別移行率について研究する人のほとんどは医学的な脱性別移行の割合ないし手術後の後悔に関する研究を引用する
最も完全な研究は、スウェーデン政府のデータを使った性別適合手術の申請とそれを取り消す「後悔申請(regret applications)」の研究。過去50年間で手術に成功した681人の申請者のうち、後悔する申請者はわずか15人(2.2%, Dhejne et al., 2014)
2001年-2010年(最も直近の10年)に性別適合手術を受けた人の「後悔申請」の割合は0.3%。なお手術から
手術の後悔に関するほとんどの研究は5%以下(e.g. Hess et al., 2014; Krege et al., 2001; Lawrence, 2003; Nelson et al., 2009; Smith et al., 2005)
これらの研究は、1.手術を受けなかった人の後悔の割合や、手術以外の側面に関する否定的経験についての知見を提供しない。2.ヨーロッパ諸国に一般的な厳格な臨床プロトコル等の特徴は他国に一般化されない可能性はある3.「後悔申請」を提出した人は、一定の蓋然性はあるが脱性別移行行為やアイデンティティの転換そのものではない
インフォームドコンセントに基づく米国の12のクリニック(ホルモン投与に関する医学的な情報提供→同意→治療開始)における研究 (Deutsch, 2012)では、ホルモン投与のうち1944人中17件の「後悔」が報告されたが、性別移行を辞めるに至ったケースは3件(0.1%)。「後悔の割合は低く、後悔に関する不正請求(訴訟や苦情申し立て)はない」
ただし、逸話的ではあるが、NTEを持つ脱性別移行者の多くは、単にクリニックの受診をやめただけと報告している
ちなみに保守的な組織が脱性別移行に関する医療訴訟を画策しようとした時、当事者コミュニティではこの訴訟に関与しないよう声明を出した。そのため訴訟や苦情申し立てに依存する研究デザインには限界がある
このような研究デザインはNTEを経験した人に「訴訟を起こさないと自分たちの声は聞かれない」という考えを持たせ、訴訟を助長させるかもしれない
離脱者
手術の後悔の研究は、脱性別移行者の割合が低いことを示すために用いられてきたが、離脱者の研究は、脱性別移行者の割合が高いことを示すために用いられてきた
ジェンダー非順応な子供や青少年に関する縦断的研究は、「ほとんどが離脱する」ことを示唆する(e.g. Steensma et al., 2013; Wallien & Cohen-Kettenis, 2008)
もっとも、多くの研究者は方法論上の問題点を理由にこれらの研究を批判している(e.g. Temple Newhook et al., 2018; Vincent, 2018b)
筆者は、これらの研究は離脱と医学的な脱性別移行を区別していないと主張する
(訳註:トランスであるとアイデンティファイしなくなることと、元の性別に戻そうと医学的な処置を求めることはイコールではないということ)
オンラインコミュニティの内部調査
脱性別移行をした女性たちが、研究の少なさに対処するために自分たちのコミュニティに対して2つのオンライン調査を実施した(Hailey, 2017; Stella, 2016).
Stella:TumblrとFacebookの脱性別移行者のグループから203人の参加者を募ったもの
Hailey:211人の脱性別移行した女性を対象とし、メンタルヘルスに焦点を当てたもの
これらの調査が示唆する重要な点:
脱性別移行をした理由が「性別違和感に対処する別の方法を見つけたこと」と「政治的な懸念」の2つが多い
多くの参加者は再性別移行(retransition)によって性別違和の感情が軽減されたものの、ある程度の性別違和を報告し続けるものもいる
ほとんどの参加者は、医学的な移行をしていない
いずれにせよ、脱性別移行者の価値や移行のプロセスについての研究はない
4. 脱性別移行を防ぐ、脱性別移行を支援する
筆者は脱性別移行を「防ぐ」研究と脱性別移行を「支援する」研究を概念的に区別する。この2つの研究は、リサーチクエスチョン、方法論、暗黙の価値判断、介入の範囲によって特徴付けられる
table:比較
\ 脱性別移行を「防ぐ」研究 脱性別移行を「支援する」研究
研究対象 脱性別移行を予測する要因の調査 脱性別移行の経験や過程
研究目的 脱性別移行の割合を低下させる 脱性別移行中/後の人々を支援する
前提価値 脱性別移行は有害で間違いである 脱性別移行は可能で、顧みられるべき経験である
脱性別移行を理解するための「中立的な方法」はない
脱性別移行に関する研究は、必然的に世界に影響を与えてしまう(前者の研究は脱性別移行は有害で間違いという価値観を促進するし、後者は脱性別移行は顧みられるべき経験であるという価値観を促進する)
脱性別移行の原因とNTEの研究は双方ともに「脱性別移行を防ぐ」研究である
双方ともに、方法論的な特徴や暗黙な価値判断を共有しており、同様のタイプの介入を促進している
双方ともに、脱性別移行を認識した人およびNTEを経験した人を助けることはできない
(cf. 逆に言えば、「脱性別移行を支援する研究」は、トランスのケアアクセスを制限することを正当化する主張を行うために有用な知見を提供しない)
この2つの目標を同時に達成する研究デザインが存在しうることは否定しないが、予防/支援という区別の有用性は否定されない
方法論
予防研究は、ある結果をもたらす様々な原因に注意を払う。対照的に支援研究は、出発点は共通するが、様々な方向に進みうる
後者のアプローチは社会学向き(臨床的アプローチと社会的アプローチの両方ありえる)
予防研究の典型的な方法論は観察縦断研究。こうした研究は、「脱性別移行者」になる割合を下げるために医療アクセスを制限することの正当性に用いられる他、性別移行のために医療を利用する人たちに対する監視や介入を可能にする
研究者は、性別移行に関する医療ケアを提供するクリニックで、研究者は、脱性別移行を引き起こすと予想される因子(人口統計学的データ、心理学的尺度、環境要因など)を参加者に尋ねる。
前向き研究では、参加者を何年も追跡し、定期的に調査・面接を行う
後ろ向き研究では、研究者は公的な記録を頼り、参加者がたどってきた軌跡に関するデータを収集する
「脱性別移行者」と定義された人は、他のコホートと比較され、「どのような要因が脱性別移行者になる確率を高めるか」という主張を裏付ける証拠となる
観察縦断研究には複数の限界がある。
第一に、脱性別移行は治療を行った後数年後に起こり、かなり稀である。
また、前向き研究は参加者の多くが脱落する(前述の通り離脱者の多くは単に医療機関を訪れなくなる)。
後ろ向き研究は、医学的な脱性別移行行為をNTEやアイデンティティがあることの指標にしてしまうため、主観的な次元を捉えることはできない
用語説明にある通り、脱性別移行行為はアイデンティティや経験とは独立している
性別移行のケアを受ける人に、脱性別移行に関する長期的な研究を実施する場合は倫理的な問題もある
支援研究の研究はいくつかの方法論が考えられるが、考えられうるのは詳細な質的インタビューである。実現可能性と、実践的に有用な知見を提供しうる
脱性別移行に関する多様な意味を調査する
脱性別移行者やNTEを持つ人々に対し、医療システムとの関わりの中で生じた困難、性別違和の経験、性別違和を調停するための手段、脱性別移行者のコミュニティの経験などを聞き取る(Callahan, 2018)
フォーカスグループ、日誌法、エスノグラフィ、SNSの分析なども考えられる
当然量的な手法も可能。
支援研究は、脱性別移行者を減らす目的から始まるのではなく、脱性別移行者の生活経験から始まるため、様々な方向性に向きうる
メンタルヘルスの研究者は、脱性別移行者に対する新たな心理療法的アプローチの有効性の設計と検証など
社会学者は、言説分析を通した、脱性別移行者に対するSNSやメディアにおける人々の表現と、脱性別移行者の経験の関わりなど
医学研究者は、医学的な脱性別移行がもたらす身体的な影響を調査することができる
「脱性別移行者の割合」という狭い指標から離れることによって、様々な研究・治療・方策の可能性が出てくる
帰結
脱性別移行の研究の将来は、可能な介入の手段と、トランス、脱性別移行者、研究者、反トランスの団体などの社会政治的な力学に影響があるだろう
脱性別移行の予防に関する研究は間違いなく、性別移行ケアのアクセスを制限したり、「脱性別移行」が起こる可能性を「防ぐため」の介入を正当化するために使われる
この目的を強く信じる人は、サンプル数を増やすためにあえて質の低い研究を行ったり、異なる種類の脱性別移行を一緒くたにするかもしれない
もしこうした介入に予算がつぎ込まれ、トランスの人々のケアアクセスの障壁に使われるのであれば、そのわずかな効果よりも弊害が遥かに大きくなる可能性がある
トランスないし脱性別移行者を助けるためにはお金や時間が使われないことになる
脱性別移行者を支援するための研究が進めば、支援のための様々な介入が可能になるかもしれない
現状、脱性別移行のための臨床プロトコルは存在しない
脱性別移行者の支援に関する社会学的研究は、脱性別移行者のために有用でサポーティブなケアを提供するためのガイドラインやプロトコルを作成する指針となる
別の言い方をすれば、予防研究は、脱性別移行者をリスクの問題とするが、支援研究は包摂の問題として構築する
どちらのタイプの研究も、安定した政治的な均衡をもたらすものではない。脱性別移行の予防に関する研究は間違いなく、トランスと脱性別移行者を対立させ、武器として使われるだろう
5. 推奨
筆者の提唱した概念枠組みは、脱性別移行に関する研究の明確な示唆を与える。研究者は脱性別移行者のどの側面を研究するのか、どのように扱うのかについて十分に考えて説明することが極めて重要である
医学的な行為なのか?社会的行為なのか?アイデンティティの話なのか、ラベルの話なのか?
参加者に敬意を払うことは重要だが、トランスの人々には肯定的な言葉が、脱性別移行者には否定的な言葉となる場合などもある。
トランスに関する研究と同様、透明性を保ち、研究計画、実施プロセスにおいて参加者からフィードバックを受けるべきである
筆者は、特にオンラインの脱性別移行コミュニティの参加者を対象とした質的社会学的研究が急務であると考える
早急に実現可能であり、また緊急だからである。「流行」や「伝染」といったレトリックを使わず、研究の重要性を主張する必要がある
筆者の印象では、脱性別移行者は当事者を尊重する人々の研究に関わりたがっているし、ホルモン療法を中止するための医学的研究にも関心を示している
研究者は一般化された主張をするために用いてはいけない
筆者の枠組み(予防/支援の枠組み)から除外されるアプローチもありうる(e.g. 「脱性別移行者」特有の問題があるという前提が当てはまらない問題や、臨床的に包摂されるという方向性から政治的に距離をあえて取りたい当事者など)。しかし、脱性別移行者を「炭鉱のカナリア」のように扱う立場を超えて、かれらの経験を現実に存在する価値のある経験として考えることは重要である