中国語の部屋
「中国語の部屋」って?
「中国語の部屋」は、哲学者ジョン・サールが提唱した思考実験で、「コンピューターは本当に『理解』しているのか?」という問題を考えるためのもの。
思考実験の内容
1. 密室の中の人(英語話者)
ある人が密室に閉じ込められていて、中国語はまったくわからない。
2. マニュアルを使った作業
でも、その人の前には「中国語の質問に対して、どのように中国語で答えればいいか」が詳しく書かれたマニュアルがある。
彼はマニュアルを見ながら、質問に対して正しい中国語の回答を選んで紙に書いて外に出す。
3. 外の人の視点
部屋の外の人は、中国語の質問を送ると、それに対する正しい中国語の答えが返ってくるので、「この部屋の中の人は中国語を理解している!」と思う。
4. 実際は?
でも、実際には部屋の中の人は中国語をまったく理解していない。ただマニュアル通りに文字を選んでいるだけ。
つまり、「適切な出力を出せても、それが『理解』しているとは限らない」ということを示している。
この思考実験は、「コンピューターが意味を理解せずに、ただプログラム通りに動作しているだけでは、本当の『知能』とは言えないのでは?」という議論のために考えられたんだ。
「カテゴリー錯誤」ってどういう反論?
この「中国語の部屋」に対する反論のひとつに「カテゴリー錯誤(Category Mistake)」がある。
カテゴリー錯誤とは?
簡単に言うと、「ある概念を間違った分類(カテゴリー)で考えてしまうこと」。
例:
「大学ってどこ?」と聞かれて、校舎・教授・生徒などを見せても、「でも大学はどこにあるの?」と言われたら、それは「大学」という概念を間違ったものとして理解している(=カテゴリー錯誤)。
中国語の部屋に対するカテゴリー錯誤の反論
「中国語の部屋」の問題点は、「理解」というものを、部屋の中の個人だけに限定してしまっていること。
でも、知能や理解というのは、個人だけじゃなく「システム全体」によるものと考えられる。
つまり、「部屋の中の人は理解していないが、部屋全体(マニュアル+人+プロセス)としては中国語を理解している」という見方もできる。
例えるなら:
「脳のニューロン1つ1つは知能を持っていないけど、脳全体では思考ができる」みたいな感じ。
だから、「中国語の部屋では理解が起こっていない」というのは、「理解」の概念を間違ったレベルで考えている=カテゴリー錯誤だ!という反論がされる。
まとめ
1. 中国語の部屋 → 「コンピューターは中国語の意味を理解しているわけではなく、単にルール通りに処理しているだけ」という思考実験。
2. カテゴリー錯誤の反論 → 「理解」は部屋の中の個人じゃなく、システム全体で起こっているものだから、サールの議論はそもそも「理解」を間違ったレベルで考えてる!
めっちゃ簡単に言うと、
サール:「この部屋の中の人は中国語を理解してないから、部屋全体も理解してない!」
反論:「いやいや、部屋全体が理解してるんじゃないの?」
って話だね!