TKGについて語る
https://gyazo.com/644d0d4a2f13337341bcad94c6f30937
TKGについてを語るにあたり器の上に置かれた卵を見て思ったことは母の勤勉さであった 実家の母は家で内職をしつつ専業主婦をやっている
母は朝ごはんを、おそらく自分が大学に行くまでの間、欠かさず作り続けてくれた
親父と喧嘩しようが
内職で夜遅くなろうが
体調があまりよくなかろうが
1日たりとも欠かすことはなかった
しかも朝の決まった時間に必ず出してくれた
母は専業主婦だったからというのもあるだろうけど
自分の愛する家族のために決まった時間にある程度決まった食事を提供していたのは
どれだけ大変であるかということを、親という立場になってみて改めて知ることとなった
自分が親となって妻が働き出すようになり娘が保育園に行きだすようになってから
どんなに早く起きようが行動しようが
朝はとにかく、以前にも増して、時間がなくなってしまった
そうなると親である自分たちは、あるものだけで簡易的な朝飯を済ませている
特に納豆と合わせたTKGにして朝ごはんを食べることが多い 自分はこの歳になるまであまりTKGを食べることはなかった それは別に嫌いだったからではなく
それを食べる機会や必要性があまりなかったからだと思う
TKGは普段それなりにおかずが豊富であればあまり見かけなかった(自分の場合) ねこまんまのような単品であるものを複合(ご飯+味噌汁)するのが行儀よくないと教えられたのもあるかもしれない
今そうした自分たちの食事の時間があまりないことを考えると
TKGを食べているというのもなるべくしてなっているような気がする いままでそうしたTKGを食べる時はあまり意識してなかったが 今回こうした記事を書くにあたり
母という存在は偉大であり
きちんとした食事を与え、自分も得ることがどれだけ難しいか
そして朝ごはんは時間を取ってちゃんと食べるべき
そういった大事なのだが当たり前にしていたことに改めて気付かされた
以上です。ご覧いただきありがとうございました。