説明することについて
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突然ですが皆さんはこの画像で印付られた鳥の位置を「文章でのみ」説明する時、いったいどのようにするだろうか。
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例えば「順番を辿る方法」から説明するのだとしたら、『いちばん左にいる鳥から3羽目、いちばん上にいる鳥から3羽目にいる鳥』と説明すると分かるかもしれない。
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「特殊なものがある」ところから説明するのだとしたら、『2羽重なっている鳥からみた直線状にいる鳥』と説明することもできるかもしれない。
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「全体図から得られる情報」から説明するのだとしたら、『一番中央に近い鳥』と簡潔的に説明することもできるかもしれない。
ところがこういった様々ある説明で的確にその対象物を捉えることができるかと言われると必ずしも100%ではないというのが文章による状況説明の難しいところである。そこでより明確なイメージをしやすくするため、創意工夫しながら状況を状況を説明していくのである。
文章による景色の投影はある程度皆がイメージしやすいものであれば容易である。例えば、文章とは違うかもしれないが、「どんぶらこどんぶらこ」という音は日本人であれば馴染みのある擬音で、間違いなく「桃が川上から流れてくる状況」がイメージできると思う。しかしながらこの擬音に馴染みのない人、例えば日本の昔話文化を知らない外人、にしてみれば何を形容しているのかはまず分からないはずである。
文化繋がりで、文章で状況説明をすることといえば「俳句」や「短歌」といった字数制限のある中で状況や心境を謳いあげる定型詩というものがある。
柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺
上記は正岡子規の俳句でおおよその人なら聞いたことがある句ではないだろうか。秋ののどかさや静かさを表現したものであるが、これもまた四季がある日本だからこそ通用する文章による状況説明かもしれない。
こういった文章での状況説明は、結局のところ「言葉」というそれぞれの国にあるメディアや文化によって成り立てるもので、それこそ状況を説明するならば写真や映像を用い、こういったものであると指し示せばある程度の認識は得られる訳で、視覚情報の割合が大きい中で的確に状況を説明する際に文章を用いる必要性はそれほど無い訳である。では視覚的に指し示したりして教えられない状況下があったとしたらどのように説明するだろうか。
視覚的に指し示しめせない状況と述べたがどういうことかというと、まさに今あなたが見ているこのブログであったり、雑誌や小説といった文字によって伝えられるメディアのみがある状況である。(手話や点字といった補助ツールも類似のメディアである)この場合、もちろんブログなどでは写真や動画が用いられることもあるが、あくまで「字」のみのメディアによって形成されているものに限る。
口頭での伝聞において、頭のなかで文章化出来る人ならば問題ないが、必ずといっていいほどその人のイメージが混入することもあり、100%正確には伝わらない。複雑な状況の口頭説明の難しさは伝言ゲームをやったことがある人ならば分かるだろう。しかしながら伝聞する内容を文章化することによって、そのイメージはより明確なものになり得る。
文章化において、上記でおこなった鳥の位置の説明のように「真ん中あたりの鳥」といったおおまかな情報だけで説明されるよりも、既にある情報(左から何番目〜、◯◯から一番近い距離の〜)と合わせることによってその状況説明はより明確になる。これはすでに共通化されて皆が捉えられうるものを用いて、理解への道筋をはっきりさせて物事を分かりやすくしているのである。もちろん視覚的に補助してくれる情報もあればより簡潔的に状況を説明することは可能である。
状況説明において、視覚的な要素を用いて説明されることが一番理解へと繋がりやすいのではあるが、説明を受ける時は口頭であったり文章のみでされる場合が必ずといってもいいほどにある。そういった場合に何が足りないことで理解しづらいのか、何を関係づけることで理解しやすくなるかを今一度考えなおしてみれば説明する側もされる側もより容易く相互理解へと繋がるのではないかと思う。
wrote: 2014/04/30